一般にこの類いのエンブレムの発表までには、まず世界各国の商標を調査し、採用したデザインと類似した商標がないかをチェックする作業が必要だ。だが、それだけでは終わらない。世界各国において、デザインに何らかの文化的な問題がないかどうかを確認する「ネガティブチェック」が不可欠だ。

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世界展開する商標を登録するまでの過程

いずれも大変な労力と時間が必要だし、途中でデザインが外部に洩れたら、第三者がすぐさまかすめ取ってどこかの国で商標登録し、権利を主張し始めてしまう危険がある。非公開が大原則であり、開かれた選定などという発想はクレージーだ。

海外では、商標登録しようとしたデザインが、それぞれの国で“広く知られた文化”に類似していれば、権利の侵害とみなされてしまう。芸術作品や歴史的作品といった権威あるものに限らず、コミックの絵や童謡なども類似の対象となる。

また、日本人の感覚では一見何でもなさそうな名前やデザインが、現地で大きな問題を生む場合もある。中国で発売した薬品の名が中国語で「墓場」だった、食品の名が「排泄物」に相当した、等々の実例もある。現地の調査会社を使い、現地の人たちに聞いてみなければ、問題の有無は到底わからない。そう考えると、組織委が行ったのは登録商標のチェックだけで、ネガティブチェックまでは行っていなかったのではないか。

私の経験上、いかなるデザイン・ブランド名でも、世界中を調べ尽くせば必ず何かしら問題が出てくるものだ。しかし、「権利の侵害が見つかったから、このデザインはやめる」などとやっていたら、世界的に使えるデザインなどなくなってしまう。

では、どうすればいいのか。世界各国で商標を登録しようとする際は、最初から何かしらの権利侵害があることを前提に、なるべくそうした問題が起きない言葉やデザインを選び、それでも侵害があった場合は、先方とライセンス契約を結んで、使用の許可を得るのである。

その際は徹底して下手に出て、相手を立てねばならない。こちらは相手の権利を侵害している立場なのだから、当然のことだ。

今回の東京五輪組織委員会も、リエージュ劇場のロゴと類似した五輪エンブレムを使用したいと考えたのなら、腰を低くして先方と交渉し、使用の許可を得る必要があった。

しかし劇場ロゴのデザイナーの抗議に対し、組織委は「世界の商標をすべて調べたうえで決めたのだから、問題ない」という居丈高な“官僚答弁”。先方が怒るのは当然だ。

リエージュ劇場とそのロゴを制作したデザイナーは、著作権を侵害されたとして、IOCにエンブレムの使用差し止めを求め、民事裁判所に訴訟を起こした。

国際的なイベントを実施するための組織なのに、組織委には知的所有権その他についての常識が著しく欠けていた。ライセンス契約を得るための交渉を、始める前から完全に失敗してしまったのだ。