アナウンサーとして入社すると……
激しい倍率をくぐりぬけ、テレビ神奈川にアナウンサーとして1996年に入社した。アナウンス職の内定者は、2人だった。
「私がなぜ、内定になったのかはいまも正確にはわかりませんが、面接官から厳しく質問を受けるたびに、言い返していたことは記憶しています。言いたいことを言って、それが認められないならば仕方がない、と思っていました」
通常、アナウンサーを志す学生は、アナウンサー専門の採用試験に臨む。番組制作や報道、編成、営業、事業、管理などの総合職としての採用枠とは別の形で進められる。
いつの時代も、エントリー者数が多い。倍率は、数百倍から数千倍にもなる。ほとんどの人が不採用となるために、全国の放送局に次々とエントリーする。それでも、内定を得ることができない人が圧倒的に多い。
三崎さんもキー局や準キー局、地方局などに資料請求などをしていたが、大学4年の初夏に早々とテレビ神奈川から内定を得た。採用試験では、ほかの放送局も含め、学歴について質問を受けたことはないという。
「エントリーする条件として、“四大卒”を掲げている局が多かったのですが、卒業(見込み)大学などでふるいにかけている印象はありませんでした。基礎学力を確認する試験や面接でのやりとり、時事問題などをめぐっての質疑応答などを通じて、面接官がきちんと判断しているように感じました」
入社後、社員らと学歴について話し合うことはなかったようだ。
「私は今も、同僚であるアナウンサーの出身大学のことを意識する機会があまりないのです。ほかの部署の社員の学歴についてもあまり知りません」
取材に同席する編成局で、同期の社員から、同世代の数人の社員の出身大学を知らされると、落ち着いた雰囲気であった三崎さんがやや前のめりになる。
「あの人は早稲田なの!? あの人が明治? ああ、そんな感じ……。あの人が慶應……。ええ? あの人も? 知らなかった~。私、全然、興味ないんです」
デビット伊東さんとのかけあいを思い起こすようなやりとりだった。