いまやツイッターのフォロワー数29万人。世界陸上のメダリストで、ベストセラー『諦める力』の著者、為末大さんが、世界の問題から身近な問題まで、「納得できない!」「許せない!」「諦められない!」問題に答えます。(お悩みの募集は締め切りました)。
父親から真剣な顔で「お前はお父さんとお母さんの悪いところしか受け継いでいない」と言われました。確かに私は、字も下手で人見知りで料理も下手で運動もできないなど欠点ばかりの人間です。自分ではそのコンプレックスを克服するために、字を丁寧に書いたり、人となるべく話すようにしたり、お弁当作りを頑張ったり、努力してきました。いまは働いており、今年結婚もしました。でもふと弱気になったときに、父親の言葉が頭にこだまするのです。「お前は何をやっても無駄だ」と言われているような気がします。自分の父親を取り替えることもできず、どうしようもないとわかっているのですが、私は父親を許せずにいます。苦しいです。(女性・会社員・26歳)
これは苦しい状況ですね。これだけ読むと、このお父さんは滅多に相手を褒めない人のように想像してしまいます。父親の言葉を真に受けて、真面目に努力を重ね、指摘された欠点を克服して“魅力的な人”になったとしても、おそらくまた別のジャンルで、何らかのダメ出しをされるのではないでしょうか。それをまた克服しようと努力を重ね……とやっていたら泥沼です。
ゴールの見えない努力を続けるよりも、いっそのこと「お父さんは他人に厳しく、何をやっても褒めてくれない人なんだ」と、心の中で距離を置いてみてはどうでしょうか。さらに数年後、父親が今より年をとったときのことを思い浮かべてみてください。若い頃はどんなに勢いがあっても、現役時代を過ぎて年齢を重ねると、別人のように小さく見えるときがやってくるものです。これだけ要求が高いということは、父親が自分の理想を娘に投影していたり、娘に受け継がれてしまった自分の欠点に対する怒りである可能性もあります。身体も弱くなり、悩みも抱えたひとりの人間としてのお父さんを想像したとき、「認められたい」という気持ちも少しは和らぐのではないでしょうか。
そして、「自分がなりたいと思う理想像」をしっかり思い描いてみることです。「父親に褒められること」が、行動の基準になってはいませんか。いくつになっても、謙虚に自分磨きに励むことは大切だと思いますが、「父親が思い描く理想像」に近づこうとするあまり「自分がなりたいと思う理想像」と乖離してしまっては、何のために努力しているのかわかりません。そうならないためにも自分に対する評価軸は、いくつか持っておくべきです。たとえば、お母さんやご主人は相談者のことをどう評価しているのでしょうか。同僚や友だちは、きっとお父さんとは違う目であなたを見ているはずです。それから、自分で自分を褒めるということもときには大事です。字をきれいに書けるようになったし、お弁当づくりが上手くなったのに、「でもだめなんだ」と自分で先回りして否定していますよね。それはやめましょう。
僕は小さいときから足が速くて、かけっこでは常に一番でした。それで陸上の道にすすんだわけですが、僕の母はそれに対して「すごいね」とか「偉いね」とかまったく言わない人でした。それどころか「陸上なんていつでもやめていいのよ」といつも言っていました。それはそれで少し悔しくもありましたが、そう言ってもらったおかげで、母に認められるためではなく、自分がやりたいから陸上を続けているのだという自覚を持てたのだと思います。自分で選んだからではなく「誰かのために」やる努力は、それが報われなかったときに自分や相手に対する攻撃に変ってしまいがちです。この方も「父が許せない」ということでいちばん苦しまれています。
仕事を持ち、家庭を持ってもなお親の呪縛に悩む人というのは少なくないのかもしれません。『母が重くてたまらない』(信田さよ子著)という本もありましたよね。世界各地にはさまざまな「親離れ」のための通過儀礼があります。インディアンのある部族では、成人として認められるために村から離れた山の中まで行って穴を掘ってそこに入り、数日間の苦行をおこなうというしきたりがあるそうです。それまでの価値をいったん崩壊させて、1人の自立した大人として生まれ変わるという意味があるんでしょうね。日本でも元服の儀式を経るとその日から別の名前を授かって、ある意味、別人格の大人として扱われました。そういう手の込んだ儀式は「親離れ」「子離れ」を円滑に行うためにはかなり有効なのかもしれません。この方が言われているように父親は取り替えることはできませんが、「関係性」を変えることはできるのです。
1978年広島県生まれ。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2014年10月現在)。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。シドニー、アテネ、北京と3度のオリンピックに出場。2003年、プロに転向。2012年、25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)、Xiborg(2014年設立)などを通じ、スポーツ、社会、教育、研究に関する活動を幅広く行っている。http://tamesue.jp