海外で稼ぐ割合が増えた日本企業は、目まぐるしく変化する世界情勢の影響をまともに受けるようになっている。いっときの成功に酔いしれている暇はない。2015年、新しくトップに就任した男たちはどんな戦いを挑むのか。

東京五輪、リニア中央新幹線に全力投球

長い景気低迷と公共事業抑制を耐えてきた建設業界。しかし、アベノミクスの財政出動や、2020年の東京五輪に伴う再開発需要と明るい材料が揃った。出遅れ感のある名門・鹿島も、5月発表の中期経営計画で20年度までに土木・建築ともに業界トップの高利益体質を目指す。その前半の3カ年が、押味至一新社長就任とともに始まった。

――社長就任決定後、積極的に現場を回られているが。
鹿島社長 押味至一氏

【押味】この4月に副社長の辞令を受けたあと、北海道から九州と全支店に出向き、海外はインドネシアとシンガポールの現地法人に行った。私が現場第一主義を掲げるのは、利益の源泉が施工現場にあるからにほかならない。現場こそ我々の生業(なりわい)そのものといっていい。

そこには常に2人の大切な顧客がいる。1人は仕事をいただく建築主で、もう1人は社員と一緒に工事をしてもらう協力会社の人たちだ。彼らがのびのびと仕事をすると、すべてがうまくいく。この考え方を改めて徹底させたい。

――それは、自身の経歴・経験から出た言葉なのか?

【押味】1969年に封切られた『超高層のあけぼの』という映画が私の原点だ。前年竣工した「霞が関ビル」の計画から完成までを描いたドラマだった。日本初の超高層ビルを建てるという男らしい仕事に感動して、当時在籍した大学の機械工学科から東工大の建築学科に入り直し、就職は同ビルを手掛けた当社を選んだ。

入社後は神奈川県と静岡県をテリトリーとする横浜支店に配属され、以来、マンションや商業施設のビル建築部門一筋に歩んだ。ただ、担当地域には超高層の物件はまだ少なく、JR浜松駅のそばに91年から3年の工期で完成させた「アクトシティ浜松」を担当したのが最初だった。