▼自分の価値を認めてもらえない

結婚すると、妻の厳しい評価にさらされることになる。結婚前は自信にあふれ、怖いもの知らずだった男が、妻の顔色をうかがうようになる。結婚後10年もたてば、男の評価は急激に下がり、ゴミ扱いされるようになるから、自分でも、給料を稼ぐ以外に自分の価値があるのかわからなくなる。それが気に入らないなら、自分の価値を数え上げてもらいたい。驚くほど価値がないことがわかり、妻の厳しい評価こそ自分の真の価値だと知るはずだ。

妻の厳しい視線にさらされるおかげで独善的にならないですむのである。何となく自分はひとかどの人間だと思い込んだまま死んでいくところを救ってもらったのだ。自分がただのゴミだと知って初めてゴミから脱却する努力をするようになり、努力して初めて半人前になり、家庭内順位がバッグの下から、犬の下にまで昇格する。

▼労力が増える

労力を自分以外のことに使わなくてはならないのはたしかである。夫婦で分業だとしても男のほうが労力を払いすぎており、不公平だ。こう思う男もいるが、口が裂けてもそんなことを妻に言ってはならない。妻は自分のほうがはるかに家庭のために自分を犠牲にしていると思っているのだ。

そもそも男が共同分担というケチくさい考えでどうする。家事を妻まかせにすると、まずい料理を文句も言えずに食べ、お茶1杯頼むにも遠慮するようになる。そんな卑屈な思いをするぐらいなら、家事を自分が分担したほうがよっぽどラクだと思うはずだ。選ぶ道は2つに1つしかない。卑屈になってでも妻にやってもらうか、誇りをもって家事を引き受けるかだ。わたしは卑屈になるほうを選んでいるが、わたしの父は仕事も家事も子育ても文句1つ言わずに全部1人でやっていたから、やれないことはないはずだ。「共同分担」にこだわるなら、料理と後片付けは夫、食べて批評するのは妻の仕事、家事全般を引き受けるのは夫、遊ぶのは妻の分担だと思えばいい。

もう明らかだろう。結婚は女を増長させるかもしれないが、確実に男を鍛えるものだ。男が人間を叩き直したいなら、座禅して瞑想にふけるより結婚することだ。人格は錬磨され、人生の暗い面、手に負えない面を余すところなく経験できるのだ。それだけメリットがあれば、幸福になる必要がどこにあるだろうか。独身の人には、ぜひ結婚してもらいたい。そしてできればわたしと代わってもらいたい。

ユーモア・エッセイスト 土屋賢二
東京大学文学部哲学科卒業。1975年にお茶の水女子大学に講師として就職、同大教授、文教育学部長などを経て、2010年より同大名誉教授。専門は哲学。『ワラをつかむ男』『妻と罰』など著書多数。
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