区役所や銀行に立派なソファーがある理由

▼自分の時間も自分の空間もなくなる

たしかに自分の時間はなくなるが、社会生活を営む以上、時間の制約は当然だ。犬を飼っても決まった時間に散歩に連れていかなくてはならないのだ。かりに自分の時間が確保できても、金がなければ暇をもてあますだけだ(それが実感できなければ、図書館にあふれている定年後の中高年男を観察すればいい)。金があればギャンブルなどに使って妻の怒りを買うだけだ。自分の時間がないぐらいのほうがストレスもない。多くの動物は生き延びるために死ぬまで働きづめで、ストレスを感じる暇もないのだ。それを見習えばいい。

空間も同じだ。自分の書斎をほしがる男がいるが、空間が与えられれば効果的に使えるのだろうか。机の引き出しでさえ、効率的に使っている人が何人いるだろうか。机の引き出しもちゃんと使えなくて何が男の空間だ。まともに空間を使えない者が自分の空間を要求するなど、贅沢すぎる。女は自分の部屋など要求しない(家全体が女のものだからだ)。自分の部屋をもってもどうせ生産的なことはしないのだ。せいぜい爪を切ったり耳掃除をするのが関の山だ。わたしは自分の部屋がなく、居間で執筆の仕事をしているが、居間にはテレビもステレオも冷蔵庫もあって快適である。

だが結婚して長年たつと、居間も含めて自分の家に「居場所」がなくなるのは事実である。家のどこにいても妻が邪魔物扱いにするからだ。不当だと思うかもしれないが、考えてもらいたい。大きくて捨てられないゴミが家の中にあったら、だれもが邪魔だと思うはずだ。女の目には夫がそう見えているのだ。ただ、男も動くことはできるから、家事を手早くすませたら、速やかに外に出るのがよい。そのために公園があり、図書館があり、デパートの階段わきには椅子が置いてあり、区役所や銀行や証券会社には立派なソファがある。しかも冷暖房つきだ。