こういう女と平和な結婚生活を送る方法はある。まず家庭は安らぎの場だという先入観を捨て、帰宅したら最大限の緊張を保ちつつ、言動に細心の注意を払い、一歩家の外に出ればホッとするぐらいでなくてはならない。これだけ注意すれば、妻の怒りの1割は減らすことができるはずだ。
こう書くと、「結婚するな」と言いたいのかと思われるかもしれないが、わたしが言いたいのはその逆である。結婚には幾多の欠点があるが、それを補って余りある利点がある。
ソクラテスは結婚すべきかどうかを聞かれ、「結婚すべきだ。良妻に恵まれれば幸福になれるし、悪妻なら哲学者になれる」と答えたという。この話を聞いて、だれもが「ははん、いい妻を娶ればいいんだな」と思うだろう。10人の男が10人ともそう思う。そう思うのは勝手だ。「男を見る目のある女がいないからモテないのだ」とか「自分は才能があるのに認められないだけだ」などと思うのも自由である。どんな妄想を抱いても現実に通用しないだけだ(わたしの知るかぎり、「良妻」は妄想の産物だ。良妻と黄金の山は地上には存在しない)。
問題は悪妻に絞られる。「悪妻をもった哲学者」は二重苦である。長年哲学者をやっているわたしが言うのだからたしかである。ただ幸い、哲学者になる人は少数だ。ふつうの男はそれより軽度の不幸に耐えればいい。
多かれ少なかれ不幸になるのは事実だが、それでも結婚すべきだとわたしは言いたい。結婚しなければ苦労も苦悩も屈辱も絶望もない。人生の重要な半分を知らないまま死んでいいのか。安楽なだけの人生は、波乱のないドラマのようなものだ。そんなドラマを見て面白いか? わさび抜きの握り寿司を食べておいしいか(わたしは刺し身さえついていればいいが)? 障害を乗り越える喜びも、乗り越えられない悔しさも、妻が外出したときの束の間の解放感も味わえなくていいのか。人生を悔いなく味わい尽くしたいなら、ぜひとも結婚すべきだ。
それでも結婚は犠牲が大きすぎると思うかもしれない。検討してみよう。