日中国交回復は田中首相の力だけではない

【塩田】田中角栄内閣時代の72年、政府は国会に提出した資料で「国際法上は集団的自衛権を有しているが、憲法が容認する自衛措置の限界を超えるから、その行使は許されない」という方針を示しました。

【平野】公明党の北側副代表が、これを論拠にすれば自民党の案を呑めるといって提案してきたことが許せない。田中内閣の方針の背景を誰も論じていませんが、背景が大事です。

72年に日中国交回復をやった。その後に平和条約を結ばなければならないのに、中国側には、日本がアメリカと組んで集団的自衛権の行使をするのでは、という危惧があった。そのための見解です。日中復交は田中首相の力だけで実現したのではありません。当時の創価学会の池田大作会長の大きな力もあった。現在の公明党の幹部たちの無知蒙昧は、池田名誉会長に対する侮辱です。こういうことを言わなければいけない。

【塩田】民主党は衆議院本会議での採決に欠席しました。その手前で対案を出すかどうか、維新と共同歩調を取るかどうかといった対応でも、腰が定まっていない印象です。

【平野】民主党内に安倍政権に通じている人たちがいることが問題です。集団的自衛権を行使する条件について、去年4月に参議院の外務委員会で、岸田文雄外相が「集団的自衛権を行使する際、『密接な関係がある国』とは、別に条約を結んでいない国でも可能」と言いました。これは重大な問題ですよ。前述した下田条約局長の発言が、政府の正当な見解です。ここが最大の攻めどころです。自衛隊を海外に派遣するという重大問題に政府が密接な関係がある国という判断で、死ぬかもわからない外国での戦争に自衛隊を出せますか。

平野貞夫(ひらの・さだお)
元参議院議員・元自由党参議院国会対策委員長
1935年10月、高知県土佐清水市生まれ(現在、79歳)。高知県立清水高校、法政大学法学部法律学科卒、法政大学大学院社会科学研究科政治学専攻修士課程修了。60年に衆議院事務局に入り、園田直副議長秘書、前尾繁三郎議長秘書官を務めた後、委員部長を最後に退官。92年の参院選に高知県選挙区から無所属で出馬して初当選し、自民党に入党。以後、当選2回。小沢一郎氏と終始、同じ道を歩き、最側近の「知恵袋」として知られる。小沢氏とともに93年の自民党離党の後、新生党、新進党、自由党、民主党に所属した。政界引退後は、著書刊行、新聞・雑誌への寄稿、テレビ・ラジオ出演など、言論活動で活躍中。著書は『消費税制度成立の沿革』『小沢一郎との二十年―「政界再編」舞台裏』『昭和天皇の「極秘指令」』『公明党・創価学会と日本』『平成政治20年史』など多数。
(尾崎三朗=撮影)
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