感情がつくりだす秩序
今回のような、リアルな場の補助として使う匿名セッションでは、毎回不思議なことに、コメントの流れの中に一定の秩序がうまれてきます。最初は、匿名で言いたい放題、なんのまとまりもなく方向性もありません。しかし次第に、何かしらその議論に貢献しようというような空気が感じられるようになり、やみくもに場を乱そうというような無秩序なコメントは減っていきます。
僕は、このなんとなくうまれてくる「一定の秩序」は、実は冷静な思考からくるものではなく、極めて生々しく熱っぽい、人間的な感情によってつくりだされているのではないかと考えています。よく、感情と秩序は相反すると言われますが、秩序をつくるそのベースに、感情の解放と衝突が必要とされているのではないかと思うのです。
今回のセッションでは、後半に入って実名で構わないという社員数名がステージに上がり、社長と一緒にコメントに答えました。様々な感情が容赦なく吹き出すセッションで、涙を流す人もいましたが、登壇者の「会社を辞めようと思ったこともあったが、やってこれた」いう旨の発言には、会社へのポジティブな感情がたくさん投稿されました。
最初はどうしても、負の感情が交錯します。そして、そればかりでは辛いだけです。それでも、お互いに人間として想うこと、感じること、考えることがあるということを認め、向き合っていく必要があると思います。議論はそれからです。この会社では、その後社内でコーポレートアイデンティティや社名などを議論する業務外のワーキングチームが結成され、少しずつ具体的な議論が行われていきました。
ただ僕は、別になんでも匿名で議論すればいいと思っているわけではありません。立場を明確にし、発言には責任を持つべきです。しかしそのためには、「言葉」なんていうものは、実社会を補完するツールに過ぎない、ということをもっと知るべきではないかと思うのです。そこに発生する責任や評価は、社会的なものでしかありません。ロールプレイングゲームのキャラが使う、「技」のようなものです。だから本当は、もっと明確に、割りきって使えればいいのです。議論も会議も、キャラ同士のバトルイベントだと思えばいい。
いやいや、なかなかそうは簡単にいきませんね……。僕も、そんなぜんぜん割りきれていません。だからといって、沈黙は寂しい。だから、いつかは堂々と向き合って、もっとポップにバトルできるような日常を目指し、「ゆるめる」実験をもっと色々やっていこうと思っているのです。