一括採用からはみ出す、偏屈で健全な若者たち
多くの企業では、新卒の一括採用がほぼ統一規格化されて行われています。その一方で、コピペのエントリーシートを量産し、みな同じ服装で面接に出掛けて駆け引きを重ねるというような、形骸化した就職活動に違和感を持つ若者も増えてきました。世間が「一般的」だとするフォーマットに嫌気がさして、就活をやめてしまった“アウトロー”な若者たち。彼らと一緒に採用のあり方を考えながら、同時に就職サービスも行う実験的プロジェクト「就活アウトロー採用(http://outlaw.so/)」を昨年から始めました。参加者は偏屈でマニアックながらも、高学歴で経験豊富な若者がたくさん集まっています。
経済と一緒に企業がどんどん成長した時代には、個人が組織に従属することで確実に生活が豊かになり、仕事もライフキャリアも充実していきました。新卒を画一的に採用するやり方は、若者にとっても会社にとっても、旧来とても便利で合理的なものだったのだと思います。しかし、国民のほとんどが物理的には不足のない豊かな暮らしができるようになり、経済も企業も働き方すらもが成熟した今の日本の社会では、それだけでは何かが決定的に足りません。
少し前に行った調査で、今の若手社員は、昔は何よりも重要だった高い報酬やポスト、仕事の規模、明確な目標といったものをそこまで強く求めなくなっていることがわかりました。その代わり彼らは、自分の個性を発揮し創意工夫できたり、お客さんから感謝されたり、信頼できる上司や同僚と一緒に働けるといったことに仕事のやりがいを感じるようになってきています。つまり、単に獲得・達成することよりも、多様な表現や変化、充実した人間関係の構築などを望むようになっているのです。
そうなると、どの業種や会社に所属するかということよりも、自分と会社・組織をどうやってつなげていくか、関係させていくかということが重要になってきます。しかし、今の採用システムや一般的な人事制度のもとでは、人と組織との相互作用や「関係性」の変化・発展はあまり考慮されていません。どちらかといえば、一人ひとりを「単体」として切り分け、“機能”として合うか合わないかを判断しているのだと思います。つまり、「こういうスペックの人たちにはこういう役割を与え、対価としていくら払う」という採用の「入り口」があり、その先に待っているのは支配的で目的合理的な人材のマネジメントです。
しかし、人は機械部品のようには都合よくできておらず、例えばTOEIC700点の人であれば、常に誰でも同じ語学的パフォーマンスを仕事で発揮できるというわけではないと思います。「おもしろい」とか「この人となら楽しく働ける」となれば、持てる力を十分発揮して成果につながるでしょうし、「つまらない」「この人とはあまり働きたくない」などと思ってしまえば、保有スキルが高くてもそれほど力は発揮されず、成果もイマイチでしょう。人は、人との関わり方次第で発揮される力も活躍の幅も大きく変わるものなのに、企業の採用活動や人材マネジメントではそこが軽視されています。その結果、仕事にやりがいを感じることができずに、すぐに会社を辞めてしまったり、上手に手を抜いたりする社員が増えます。企業は、「甘い」とか「ぬるい」とかなんとか言って、対症療法的により制圧的なマネジメントを実行する。結果、組織や職場はどんどん窮屈になっていく。こんな負のスパイラルを、一部の敏感な若者たちは「入り口」の段階からなんとなく感じとり始めているのだと思います。そしてこれは、とても健全なことです。