おしゃべりの解放

前回は、ワークショップやミーティングなどの議論の場で、僕自身の緊張や気恥ずかしさをあえてそのままさらすことで、自分と場を同化させ、「話し手」と「聞き手」の構図をつくらないように心がけているというようなことを書きました(詳細は連載第13回 http://president.jp/articles/-/13909を参照)。今回は、つい最近JK課の女子高生から学んだ、非常に大切なことをお話ししたいと思います。

何度も記事にしている、女子高生のまちづくりプロジェクト「鯖江市役所JK課」。この活動を通じて、非日常的な娯楽や消費活動ではなく、日常の多様な生活に注目した地域改革を模索しています(詳細は連載第8回 http://president.jp/articles/-/13200を参照)。日常に密着し、日常を掘り起こしていく上で注目しているのは、女子高生たちの何気ない「おしゃべり」。一見、非生産的で無目的としか思えないおしゃべりでも、この中には素直な感覚や試行錯誤が盛りだくさんで、日常を盛り上げるヒントがちりばめられています。

そしてそれは、もはや価値の大小ではありません。そもそも、「価値基準」なんてあいまいでいいかげんな時代。僕たち大人はそれに耳を傾け、勝手に評価することなく、丁寧に寄り添っていくことが非常に重要だと思っています。実際、そこからいくつかのサービスやプロジェクトも誕生しました。

大切なのは、生産性や目的など考えず、解放的にどんどんおしゃべりしてもらい、そのゆるやかな対話を通じて意見をたくさんもらうこと。そこで僕は、女子高生メンバーたちにおしゃべりの重要性をやたらと力説した上で、「どうすれば意見を出しやすくなると思う?」とたずねてみました。しばらくすると、彼女たちはホワイトボードにいくつか意見を書いてくれました。そこには「意見を出そうとしない」と書かれていました。これには、ハッとしました。

JKの教え

これはものすごく重要で、おそろしく本質を突いた指摘だったと思います。大人から意見を求められたら、「何かまともなことを言わなきゃ」と身構えるのは当然で、解放的に発言できなくなってしまう。そう、出そうとすれば出るようなものじゃないんです。僕は、自由におしゃべりしてほしいとか言っておきながら、どこかで「価値ある意見」を求めてしまっていたんです。彼女たちは敏感です。深く反省しました。

上司が部下に「どんなことでもいいから」と言っておきながら、いざ思いつくままに発言すると、「それはちょっと難しいんじゃない?」とか「なんでそうなるの?」と追及したりする。そりゃあもう、上司が正しいと判断・評価することしか言わなくなります。上司の判断や評価、導く答えがいつだって正しいのであれば、別にそれでもいいんですが……。