落ちこぼれは口ぐせの大切さを知らない
口ぐせは、それをつぶやくタイミングや場所、状況、つまりは、職場の文脈によっては、自分をよりステップアップさせるための、大きな武器になる。
落ちこぼれの口ぐせと、出世する人のそれは紙一重といえる。出世する人は、そのことを体で感じ取っている。落ちこぼれになる人は、心得ていない。次に挙げるのは、その一例だ。
「俺があいつを育てた……」と管理職になっていないヒラ社員がつぶやくと、「生意気な奴」と見られ、周囲から足元をすくわれやすい。
職場では、たくさんの敵をつくると、不利になる。敵が多く、その中に人事権を握る者がいると、落ちこぼれにさせられる可能性が高くなる。落ちこぼれは、意図的につくられるのだ。
会社員は、個人事業主や創業経営者にはなりえない。残念なことだが、上司をはじめ、周囲から認められたものが、「優秀」となるのだ。周囲の力や支えがないと、浮上できないようになっている。
そんなしがらみが嫌だからこそ、社会人大学に通ったり、資格をとるための勉強をしたりする人は、会社を離れても生きていくことができるようにしているのだとは思う。だが会社員が認められるためには、上司や周囲から支持を得ないことには、必ず、どこかでゆきづまることは否定できない事実だ。
会社員が認められるためには、上司の口から、「あいつは優秀です」と役員や人事部に伝わり、「あの社員を昇格させよう」という空気になっていく仕掛けをつくらないといけない。前述の役員は、そのことを心得え、自らの口ぐせを武器として使った。
企業社会では、実績や業績を残したところで、認められない人は数十万人もいる。成果主義が浸透しようとも、人が人を評価する以上、変わることはありえない。この現実を見据えると、ヒラ社員が「俺があいつを育てた」と豪語すると、落ちこぼれにされやすいのだ。
「俺が、あいつを育てた」という言葉は、落ちこぼれも出世する人もつぶやく。ところが、その後の人生は大きく変わっていく。口ぐせの怖さを考えるうえで、貴重な教訓だ。