独立精神が芽生えた出会い

ところで、この留学中に、それまでの私の価値観を揺さぶられる出来事があった。寮のルームメイトは、品行方正で敬虔なクリスチャンの白人学生だった。あるとき彼が「君は日本でどんな企業に勤めているんだ?」と聞いたので、私は胸を張って「政府出資の日本で唯一にして最大の電話会社だ」と答えた。すると彼は咄嗟に「ダム」(Damm)と吐き捨てるようにいった。滅多に使わない汚い言葉で「なんとつまらない生き方だ」と。

面食らったが、考えてみればアメリカは建国以来、フロンティア精神を重んじる国である。巨大な独占企業で安穏と過ごす生き方をつまらないと指摘したのだろう。

ソフトバンクとイー・アクセスの交渉時に使用したモンブラン製のペン。5年ほど前から愛用している。

私の心にベンチャー精神の種が蒔かれたのは、このときかもしれない。私はアメリカで過ごすうちに彼の考え方を理解するようになった。後に、電電公社を辞め、84年に第二電電(現KDDI)を稲盛和夫氏と共同創業し、さらに99年のイー・アクセス創業へとつながっていく。

企業を立ち上げてからは、学生とは別の意味で勉強が重要だった。私の専門からすれば通信の技術革新のための研究開発はもとより、経営者としてのマネジメント、会社を運転するには欠かせないファイナンスと、休んでいる暇などまったくなかった。

勉強は何も学問だけではない。社会に出れば、人との交流も勉強だ。一流の人たちと出会い、感化を受けて成長する。電電公社時代に謦咳に接した、NTT初代社長の真藤恒氏、京セラの稲盛氏には生き方、働き方の基本を教えられた。また、ソフトバンクの孫正義氏とは通信事業ではライバルとして切磋琢磨しあった仲である。そんな巡りあいが今日の私をつくり上げたといっても過言ではない。

KDDI創業者 千本倖生(せんもと・さちお)
1966年、京都大学工学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。翌年、フロリダ大学大学院に留学。83年に退職、84年に第二電電株式会社(現KDDI)を共同創業。99年にイー・アクセス(現ワイモバイル)、2005年にイー・モバイルを創業。
(岡村繁雄=構成 的野弘路=撮影)
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