学生時代から愛読していたのが、ロシアの文豪・ドストエフスキー。なかでも『カラマーゾフの兄弟』は、私の人生に最も深いインパクトを与えた本で、何度も読み返した。父親と3人の男兄弟の行動を通じて、家族、恋愛、犯罪などさまざまな問題を描いているが、この作品の深層には信仰というテーマがある。だから私は、人間とキリスト教の神の関係をつづった『聖書』の小説版というとらえ方をしている。しかも、自分が成長するにしたがって、まったく違う角度で読むことができる。最近では亀山郁夫氏の新訳が文庫本で出たので読んだ。
大学で専攻したのは原子炉制御だった。国産第一号原子炉が臨界に達したのは、私が京大に入学した62年。そのころ、次世代エネルギーとして注目を集めていた原子力発電は最先端技術そのもの。時代の息吹を学問の場で体験できたことは大きい。
卒業後の進路は、世界に多大な影響力を持ちそうな情報通信分野が有望だと思い、日本電信電話公社(現NTT)に入社した。新しい時代に向けて「私自身も社会に役立ちたい」という希望を抱いてのことである。とはいえ、なんの蓄積もなければ有意義な挑戦はできない。そこで私は、入社10年ほどは将来を見据えて、仕事の知識や業務上のノウハウといった基礎力を身につける期間だと考えるようにした。
だが、半年もたつと「これでいいのか」と自問することが多くなる。目の前の仕事に忙殺され、いまひとつ充実感がない。いつしか私は「何かを変えなければ……」という焦る気持ちを持てあましていた。
フルブライト・プログラムによるアメリカ留学をめざしたのは、学生時代にカトリックを通じて世界と関わっていたことと無関係ではない。もちろん、選抜試験が相当な難関であることは間違いない。しかし、庶民に対して世界の窓が開いているのは、この奨学金制度くらいしかなかった。当時の物価では自費で留学などとてもできるものではなかった。幸い、試験に合格し、67年7月、電電公社に籍を置いたままフロリダ大学大学院で学ぶために渡米した。
ここでは、ひたすら研究に没頭した。朝7時には寮を出て研究室に向かう。昼食と夕食以外は統計通信工学の講義を受け、研究を重ねる。15~16時間は机に向かっていたと思う。奨学生は、1年4学期ごとの成績で、優が4点、良が3点という配分で平均点が3~5以上でないと、自動的にプログラムを打ち切られるから、必死にならざるをえない。