短期間で大成功する人は私たちと何が違うのか。
努力量はほぼ一緒、学び方の小さなコツに秘密があった。

世界を身近に感じた出会い

KDDI創業者 千本倖生氏

いくら頭脳が優秀でも、勉強をしないと宝の持ち腐れになってしまう。とりわけ、若い時代は集中して、情熱を持って勉学に励むべきだろう。

奈良に育った私は、奈良学芸大学附属中学校を経て、県立奈良高校に進んだ。当時、私は学校での授業のほか、早朝と夕食後に勉強した。朝は4時半に起床、自宅近くを散歩しながら、学習の重要ポイントを書いたメモ帳を片手に持って暗記する。同じことを登下校の時間にもした。自宅や高校の近くには興福寺や東大寺といった古寺・名刹が多く、古都の面影が色濃く残っていて、四季折々の美しさも格別。そんな場所を散策していると、感性が刺激され、記憶力だけでなく、思考力・創造力も高まった。

そして、学校から戻ると、1時間ほど昼寝をし、体力を回復させ教科書を開く。夕食後は夜中11時過ぎまで予習・復習と受験参考書の学習である。文字どおり勉強漬けの高校時代を過ごした。

こうした努力の甲斐あって、1962年に京都大学工学部に合格。起業家だった父から「大学に入ったら、自分で人生を決めろ」といわれていたこともあり、寮生活を選んだのだが、ここでの4年間が私にかけがえのない人生の勉強をさせてくれた。

地方の篤志家が運営していた寮の名を「海の星学寮」といった。京都市左京区にあり、銀閣寺は目と鼻の先。30人ぐらいが入っていて、京大だけでなく、立命館や同志社の学生もいた。学部も医学部や文学部もいて、寮生の年齢も幅広い。

毎晩のように誰かの部屋に安い酒を持って集まっては、午前2時、3時まで人生論を闘わす。哲学や文学の話題も多く、自分の視野が広がっていき、人間としての度量を大きくすることになった。と同時に、私は京大カトリック研究会にも参加していて、アジアや世界の学生とも対話をしていた。そのことは、グローバルな視座を養うことに役立った。