〈学問いうのはね、人間とは何かを純粋に突き詰めるもんやと思う〉
考古学に憑かれた男たちの愛憎と対立を追った本書で、ある研究者はこう語っている。彼の言葉を引き出した上原善広さんもまた人間とは何かを突き詰める作家である。
上原さんは「路地(同和地区)を書くことは人間を探ることに繋がる」という考えから、自身のルーツである被差別地域を描いてきた。2010年には『日本の路地を旅する』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。本書も、考古学者たちの探求心や情熱だけではなく、名誉欲や嫉妬心にまで感情移入して書いた一冊だ。柱は日本の旧石器時代の存在を示す岩宿遺跡の発見者・相澤忠洋と、その師で「旧石器の神様」と呼ばれた芹沢長介という2人の考古学者。2人の歩みを追うなかで、15年前に発覚した旧石器捏造事件の真相が明らかになる。
相澤は納豆の行商をしながら発掘を続け、岩宿の発見を果たした。上原さんは大宅賞の受賞前で、余裕はなかったが、自費で取材をはじめる。
「ぼくも野良犬みたいな感じでノンフィクションをやってきたから相澤の人生に惹かれたのかもしれません」
神話を基にした皇国史観が信じられていた日本で、考古学は戦後に注目された。そんな時期に相澤を見出したのが、芹沢だ。彼は学歴に囚われずにアマチュアも登用する革新的な考古学者だった。
吹雪のなか、芹沢は泥と雪で見分けがつかない石に自らの小便をかけて確かめ、従来の論調を覆す発見だとわかり、喜び駆け回る。そんな芹沢の純粋な探求心に惹かれたのだろう、多くのアマチュアが彼の元に発見した遺物を送る。そして芹沢が彼らを認めるという構図が生まれる。
捏造を繰り返し「神の手」と呼ばれた藤村新一もそんなひとりだ。読み進めると疑問が湧く。藤村だけの問題なのかと。遠因に専門化した集団の存在がある。認められたいという気持ちは誰もが持つ。
「人を書くとき、自分もそうなるかもしれないと常に考えている」と上原さんは語る。
だからだろう。愛弟子の捏造に気づけなかっただけでなく、保身に走る晩年の芹沢の姿が悲しいのは。
「誰でも年を取ると、頑迷になり、新たな知識についていけなくなる。芹沢も例外じゃなかった。人間のそんな悲しみが伝わればな、と」