嫌いで仕方がない、悪口を言いたくて仕方がない、というのは、かなりのエネルギーを使うことである。どうせエネルギーを消費するならば、少しでも建設的な方向に振り向けたほうがよい。
嫌いなはずの人の中に、実は自分が「うらやましい」と思っていることがあるのならば、自分もそれを身につけるように努力すればよい。
相手の中に、自分の中にもある嫌な点を見ているのであれば、なんとか、それを克服するようにすればよい。
誰かが嫌いでたまらないという「感情のタグ付け」を、自分自身を見つめる「メタ認知」のきっかけとして、自分が成長する原動力にすれば、それが一番よいのである。
逆に、誰かに嫌われている、いつも悪口を言われているという人は、それを、相手の自分に対する関心の表れだととらえて、ポジティヴに考えてみてはどうだろうか?
無関心よりは、「嫌い」のほうが、相手に興味を持ってもらえている。ちょっとのきっかけで、その否定的な感情が「好き」に変わるかもしれない。「嫌い」は「好き」のスタートラインなのである。
ツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワークでも、褒められる一方ではなく、悪口も書かれる、つまりは「賛否両論」のほうが、かえって人々の間に広がりやすいという研究もある。
企業にとっては、ある商品やサービスの「アンチ」も多いというのは、逆に好きになってもらえるチャンスでもある。「アンチ」は、それだけ強い関心の表れと、積極的にとらえればよいのである。
(写真=時事通信フォト)