逆転不可能だと感じられたときに格差感は発生する

日本の場合、格差は世代間で大きい。親の世代は年功序列と経済成長で年ごとに収入が増え、マイホームも持つことができた。しかし子供の世代は平均としてみると所得が上がらず、働いても親と同じだけの資産を手に入れることが難しくなる。これではすでに親が財産を築いた家はいいが、そうでない家の子はずっと貧しいままになってしまう。

バブル崩壊後の低成長の始まりから10年間そうした状況を目の当たりにし、それが構造的な問題と認識されるに至って、格差は社会問題化したのであろう。格差感は、現実の格差そのものより、それが将来にわたって逆転不可能だと感じられたときに発生するのである。

ピケティ理論では低成長の時間が長引くにつれ資本と所得の差が大きくなるため、ますます逆転が難しくなる、とする。日本における格差感の高まりと閉塞感は、ピケティ理論と整合的であるとみることができる。

ピケティは著書で日本に言及し、「英米ほど格差は開いてはいないが、そうなる兆しがある」としている。日本では、高度成長期末期に比べて格差が拡大したことは事実である。ただピケティがいうように、何もしなければ日本も英米並みの格差社会に至るかといえば、私自身は「そうなる可能性は低い」と考えている。