日本が戦前のような格差社会に戻るとは思われない
前述の第一の法則では、「資本収益率が高いほど、資本分配率が高くなる」ことが示されているが、今の日本では、長期金利1%以下と、資本収益率は低くなっている。
続く第二の法則では、「資本対所得比は貯蓄率に比例し、所得の成長率に反比例する」ことが示されているが、日本では家計の貯蓄率が下がり、ゼロに近づいている。
税制の問題もある。米国やイギリスにも相続税はあるが、抜け道が多く機能していない。その点、日本の相続税はより網羅的であり、累進性も英米よりきびしい。
これらいくつかの要因の結果として近年、日本の上位所得者が所得全体に占めるシェアは上がっていない。このまま進んだとしても、日本が戦前のような格差社会に戻るとは思われないのである。
技術革新により、コンピュータに代替されうる仕事の価値が下がり、またグローバル化によって、先進国の労働者の仕事が、発展途上国の労働者によって代替された。結果、中間層が崩壊して社会の二極化が進行している――これが従来の経済学の、先進国における、近年の格差拡大を説明するメカニズムだった。
一方、ピケティは資本主義の根本的性質から格差拡大を説明してみせた。その視点は市場第一主義の英米経済学に対するアンチテーゼともいえ、アングロサクソン諸国にあっては衝撃的なものであった。
とりわけ米国では、これまで長年にわたって成長率が高く、「資産格差があっても、自分の力で逆転できる」というアメリカン・ドリームが信じられてきた。しかし、08年秋のリーマンショックで数年間の低成長を経験することで、持たざる層の間に、「いくら頑張っても資産の差は逆転できないのではないか」という疑念が生まれてきた。「ウォール街を占拠せよ」の活動で「我々は99%である」というスローガンが掲げられたのは、その象徴といえる。現在の米国社会は、日本の2000年代半ばに近い、未来への心理的不安が強まった状況にあるとみられる。そのタイミングでピケティの著書が刊行されたことで、くすぶっていた疑念に一気に火がついたのであろう。
逆に、ピケティの著書が本国フランスでそれほど評判にならなかったのも、低成長と階級社会に慣れたヨーロッパで今さら「格差は個人の力では逆転できない」といわれても、ナイーブな米国人ほど人々がショックを受けなかったからだろう。
今後、日本でピケティの主張が果たしてどう受け止められるのか、興味の湧くところである。