3. あえて負けを認める
なぜ日本人は交渉ベタか
かつて日米間で行われていた「年次改革要望書」の成果を見ると、米国から日本に対しての要求事項が圧倒的に多く、日本側からの要求内容は質も量も劣る。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
米国が用いた手法はリストに、とにかく膨大な量の要求を挙げておき、相手に譲るべきところをあらかじめ用意しておくのである。そして譲れない部分は決して相手に明かさない。一見、単純なことのようだが、実は意識的に悪知恵を働かせなければ実行できるものではない。とくに日本人には2つの大きな課題がある。
第1の課題は、交渉のテーブルに着くまでに、調整の過程で利害衝突が起き、結局、要求事項が何も残らないということになりかねないこと。また、要求リスト作成の時点で議論を詰めすぎると、かえって、すべてが絶対に譲れないという状況をつくり、自らを追い込んでしまう。
米国は、相矛盾する事項であっても、あえてそのまま要求として出してしまう。基本的には、いつでも相手に譲れるようにしておく。要求が通ろうが通るまいが、どちらに転んでも得になるスタンスをつくっておくわけだ。
第2の課題は、日本人は「話せばわかる」と思い込んでいるため、個別案件ごとに交渉しようとすることだ。ところが、米国や中国、EUの手法は、「パッケージディール」だ。
「1~10のうち、7つは譲るから3つは要求をのんでほしい」というやり口である。土俵が異なるのだ。彼らは痛手を負わない形で譲歩する部分をつくっておき、相手に花を持たせる。一方、自らの「隠されたアジェンダ」を遂行するときに、相手に求める譲歩の質はすごく深い。
社内において、パッケージディールを意識して行動すれば、いつも他人に譲っているかのように見せかけることができる。自分の要求を実現させつつ、「あの人は話がわかる」と評判が立ち人望が集まるのだ。