「いわゆる勉強は体に悪いんですよ。詰め込めば詰め込むほど(アイデアが)出てこなくなります。だから僕は、多少不義理をしてでもなるたけ頭をカラッポにする、考え事をする時間をつくっています。何かこれまでと違うこと、面白いことないかなあ、と」

新しいことは物騒だ。誰もやっていないからこそチャンスがある、と言うのは簡単だが、実は誰もやりたくない。

「皆がダメだという事柄は、皆はだいたい真面目に考えてはいません。チョロッと試した程度でダメと言う。だからやってみる価値があります。人が何かに反対するときは、だいたい何かと比較した相対的な優劣で言う。絶対的な尺度を根拠にはしてません。だから、尺度を変えればチャンスがあるんです」

確信など持ったことがない、という鈴木氏。知恵を出すには、絶えず考え続けること。これしかないという。

「“世にない商品”なんて、世の中になかなか受け入れられない。一人一人の消費者の頭に刷り込むには、お金も人手も時間もかかります。年中、『脳みそ絞って売り方考えろ』と言います」

ただ、商品がいいから売れる、という一見当たり前な因果律は通用しない。

「いいものは売れない。売れたためしがない。逆です。売れるからいいんですよ。いいものだと思った瞬間、目が曇るんです。『買わねえ奴が悪い』とか言って、高慢ちきになっちゃう」

売れなかったら原因を検証する?

「反省するような奴は行動力がないから、新しいものができない。おっちょこちょいな奴は、一切反省しませんね。真面目、博覧強記で何でもできそうな人はたいがいダメ。未来は誰も教えてくれませんし、本にも出ていません」

頭に固着した情報に執着しない、盲信しない……鈴木氏にはそれを体感した原体験があるという。1945年8月の敗戦時、10歳だった鈴木氏は世の中が一変するのを目の当たりにした。“鬼畜米英”が進駐軍礼賛に。小学校の教科書も墨で塗りつぶされた。

「他人から教わることは嘘っぱちが多い。つくづくそう思いました」

鈴木氏は名君・上杉鷹山の言葉「働き一両、考え五両、見切り千両」を好んで引用する。仕事そのもの以上に考えることを、それ以上に見切る、捨てることをより重視すべき――まさに鈴木氏の持論そのものである。