「いい提案が上がってこない」と嘆くよりも、自分で考えよう。自らがアイデアを出し、会社を引っ張っている社長たちをご紹介する。

数あるタワーのうち東の横綱が東京スカイツリーだとすれば、西の横綱は大阪のシンボルタワー・通天閣だろう。その通天閣は2012年度、開業100周年を迎えて入場者数が132万人に達し、史上3番目を記録した。その勢いはいまも続き、連日、1階のエレベーター乗り場の前には行列ができている。

「とにかく“日本一おもろいタワー”を目指して、いろいろなアイデアを考えては投入してきました。おもろいの中身は大阪ならではの演出。こちらでは『コテコテ』と表現しますが、企画展示やイベントを『これでどないや?』というぐらいに繰り出してきたのです」

通天閣観光社長 西上雅章氏●1950年、大阪市生まれ。74年追手門学院大学卒業。87年に通天閣観光に入社。2003年6月から現職を務める。1年のうち350日は通天閣に上り、通天閣を愛する社長として知られている。

こう話すのは、通天閣を運営する通天閣観光の西上雅章社長だ。幼いころから通天閣を見て育った。というより、通天閣が遊び場だったといったほうが適切かもしれない。父親の一氏も、昭和から平成にかけて、同社社長を務めた人物。西上社長にとって、もはや生活と通天閣は一体化している。

西上社長が現職に就任したのは10年前の2003年のこと。当時の入場者は、いまの半分の73万人あまり。あるとき、西上社長はエレベーターのなかで「これで500円は高いな……」とつぶやく男性客の声を聞いた。500円は、その頃の展望料金だった。

実は、それ以前から西上社長は薄々感じていた。すでに眺望のみを売り物にする時代は終わっていたことを。それなのに当時の5階の展望台はガランとした空間で、来場者を楽しませる工夫は皆無に近かった。

「大阪の庶民に親しまれ、入場者の7割を占める府外の方たちからも愛された通天閣というハードを生かすのには、上ってもらうだけでは明らかに魅力不足でした。そこで大阪ならではのコテコテのソフトを取り揃えていくことが、復活の一番の近道だと判断しました」