冷え込んでいた日中関係だが、昨夏以降、改善の機運が高まりつつある。2014年11月10日、北京で2年半ぶりとなる日中首脳会議も開催された。2012年、尖閣問題で日中が揺れたとき中国大使として渦中にいた丹羽宇一郎氏は、習近平体制と日中関係をどのように見てきたか。田原氏が核心に迫る!(注:同対談は2014年10月14日に実施)
【田原】丹羽さんが中国大使をされていたときにいろいろなことが起きました。一つは、10年9月に尖閣で中国の漁船が巡視船に衝突して船長が逮捕された事件です。あのときはどうでしたか。
【丹羽】あの事件には、二段階ありました。04年3月、小泉(純一郎)さんが総理のときに今回と同じような事件(中国人活動家7人が尖閣に不法上陸。入管法違反で逮捕)があり、小泉さんはすぐに彼らを逮捕した後、強制送還しました。今回も同じように対処すればよかったのに、まずは、逮捕して何日か拘束し、中国と何度かやり取りをした後、処分保留で釈放した。それならそれできちんと起訴すればよかったのです。一貫性がありません。
【田原】中途半端な対応でしたね。いったん拘束しておいて、中国がレアアースを売らないと決め、日本企業の社員の身柄を拘束すると、釈放した。
【丹羽】選挙が近いことが影響したのでしょう。政治家の思惑と官僚の考え方が一致していなかったと思います。
【田原】さらに大きいのは尖閣諸島の国有化問題です。12年9月9日、ウラジオストクのAPECで、野田佳彦総理(当時)が胡錦濤国家主席(当時)に「尖閣を国有化したい」といった。胡錦濤は断固反対したにもかかわらず2日後の11日に国有化を閣議決定しました。これはどうしてですか。
【丹羽】何か齟齬があったのではないですか。実は、この2カ月前の12年7月7日の時点で、野田元総理は「国有化を考える」といっています。中国側はそれに強く反対しました。私が中国の外交部の連中と話していても、「国有化は絶対やめなければいけない」「もしやれば大変なことになるぞ」という話が出ていたのです。ところが、単なるミスか、あるいは意図的なのかはわかりませんが、中国側の意思が野田元総理にうまく伝わっていなかった。だから野田元総理は胡錦濤との立ち話のとき、尖閣問題が出るとは考えていなかったと思います。