「見る」ことを科学する
【窪田】「見る」ということについて、話を深めていきたいと思うのですが、アスリートにとって「見る」ことの重要性はどのようなものですか?
【為末】ほとんどのスポーツが、「見る」ことを条件に成立していますよね。だからとても重要だと思うんですが、中でもおもしろいなって思うのは、じつは音とか匂いとか、そういうものも統合して捉えたものを「見えた」と感じているのではないかと思うんです。
野球選手も「球が止まって見えた」なんて言いますけれど、実際は目だけの情報でなく、全部の感覚によって「見えた」ということになるんじゃないかと。
【窪田】ハードルで走っているときには、なにが見えている?
【為末】感覚としては、「ぼんやりとあたりが見えている」というものでしかなくて。でも前に実験で、視点を感知できる装置を付けてハードルを走る実験をしたことがあるんです。経験の浅い選手とトップ選手とで、そんなに違いはなかったのですが、でも、一個だけ大きく差が出たことがありまして。
【窪田】それは?
【為末】経験の浅い選手のほうは、ハードルを最後まで目で追いかけるんですね。でも、トップ選手のほうは早い段階で視点が次のハードルに向かっていました。
「先取りをしていけるか」っていうか。ちょっと見ただけで、それがどうなっていくか予測できるのが、トップ選手の視覚なんじゃないかと思います。
選手がハードルを「見る」ということなんだけれど、そこでの「見る」は、やっぱり、いろんな情報がすべて統合されたもののような気がしています。
【窪田】たしかに。視覚をトリガーに体を動かして、ハードルを超えたり、ボールを打ったりするときには、「こうだからこう」と考えてやっているとぜんぜん間に合わないんですよね。「こう見えるからこうしよう」という以前に、すでに脳が運動神経に指令を出している。
視覚というのは、認知に上らないレベルで情報処理の大部分をやっているんです。知覚していない情報を元にアウトプットをしている部分もとても大きくて。それが実は人のパフォーマンスにとって重要だったりするんですよね。
【為末】聴覚には「カクテルパーティー効果」っていうのがありますよね。雑談の場で、話している相手の声だけが自然と耳に入ってくるという。それと同じようなことが視覚でもおこなわれているんですね。
【窪田】そういういことです。そういうこところがおもしろいですね。人間の感覚ってのは奥が深い。
【為末】そもそも窪田さんが、眼の分野に興味をもったのは?
【窪田】私自身、脳のしくみに興味をもっていたんです。もちろん、目が見えなくなる人を救いたいという思いもありましたが、科学的な興味では、脳という感覚器が物事をどのように認知するか、その機能を解明したいという思いもあったので。それで、眼は「脳のモデル」とも言われるくらいで、眼球にも情報処理をおこなうしくみがあったりして、研究しがいがあったんですね。
【為末】脳を知るために眼を知るということなんですね。やっていることが手段だと思っている人はおもしろい気がします。僕は陸上をやっていましたが、海外には「スポーツが目的」という人より「人間のおそれを理解するためにスポーツをするんだ」というような人もいました。