酸いも甘いも噛み分けるこの人の、無我夢中に生きた青年期。そこには生きるヒントが詰まっている。
「負けるものか」が口癖になっていた
終戦の年、私は10歳の少年でした。その後、国立音楽大付属高校に入学するため郷里の長崎から上京しました。
確か15歳か、16歳の頃です。実家は比較的裕福だったので、仕送りをしてもらっていましたが、戦後のドタバタでついに親の仕事もうまくいかなくなり、破産。家は没落しました。以来、仕送りは完全に停止しました。
当時、国鉄の駅は夜になると家を焼け出された人々が寝泊まりしていました。私も一時その集団に潜り込んで雨風をしのいでいましたが、何もしなければ死んでいたでしょう。とにかく働き口を探し、食い扶持を稼がないと……。
新宿駅なんかに立っていると、手配師から声がかかりました。それで、楽器を弾ける人や歌を歌える人はトラックに乗せられて立川や座間などの米軍キャンプに連れていかれた。運のいい人は、そこでバイト代のほかにコンビーフ缶などをもらえた。将来のことなど、誰も考えられません。ひたすら今を生きる。それで精一杯の日々でした。
少しして安いアパートを借りられるようになったときのこと。私がドアの鍵を差し込むと一緒に帰宅したボーイフレンドが「ほーら、また言った」と。「え、何を?」と聞くと、教えてくれました。私は無意識に「負けるものか」としばしばつぶやいていたのです。戦争には負けたけれど、私は負け犬にならない。絶対、負けてなるものか。そんな思いが口癖となったのでしょう。
好むと好まざるとにかかわらず、人は「現実」に晒され翻弄されます。人生は順風の時もあれば、逆風の時もある。そうした真理は古今東西共通です。
ただ、戦前・戦中・戦後の苦難を肌で知る私が言いたいのは、現代の人はすぐ弱音を吐いたり、心が折れたりしやすいのではないかということです。
上司に怒られ、同僚には足を引っ張られ、得意先に理不尽な注文を浴びせられ、営業成績もさっぱり上がらない。四面楚歌だ。俺はダメなヤツだ、と。
厳しいようですが、私に言わせれば、そんなの平和ボケの時代の贅沢な悩みです。災難を災難と受け止める意識があるうちは生ぬるいんです。
火の粉はふり払わなければ、火傷します。だから必死にふり払う。自分が置かれた立場を悲観している暇はない。