人生において「無駄な苦労」というものは、実は一つもありません。なぜなら、苦労そのものが人間をつくっていくからです。私も子どものころは生意気でしたから、大人から「苦労は買ってでもしろ」といわれると反発し、「いやいや、苦労なんて売ってでもしたくない」と思っていたものです。しかし今ではその意味がよくわかります。苦労というものは、自分を磨いていく糧となるもの。「金を払ってでもしたほうがいい」というのは本当です。
私の場合、大学を卒業して就職をした会社が「給料の遅配は当たり前」という赤字続きの会社でした。会社の研究室で自炊をしていましたが、ご飯を炊いて、ネギと天カスだけのみそ汁をバッとこしらえて、それを朝昼晩と食べていたものです。その後も京セラを創業して、若いころから非常に苦労をしましたが、これは天が私に与えたもうた試練だろうと思うようにしてきました。神様はきっと私の心を高めるために、そういう苦労を与えたもうたのだろうと思います。そういう困難から逃げず、真正面から立ち向かってきたからこそ、今の自分があるのです。
82歳になって、しみじみ「心のあり方が、すべてを決めるのだな」と思います。今、自分の境遇に苦しんでいる人がいるかもしれません。しかし、その境遇をつくり出したのは、まさに自分の心なのです。自分の心が、正しい方向に変わっていけば、自分が今置かれている環境も変わっていきます。心が招かないものは、自分の周辺には現れません。自分の心の反映が、自分の周辺に現れ、現在の自分を取り巻く環境もつくっているのです。そう考えれば、「心を磨く」ということこそが人生の目的であり、また、人生で最も大切なことではないでしょうか。
(大高志帆=協力 町川秀人=撮影)