「個人のお金儲け」から「全従業員の物心両面の幸福を追求すること」への転換。それは、社会主義から改革開放へと急激な方向転換により格差が開き、従業員と経営者の心が離れてきた中国において、もっとも必要とされていたことの一つであった。稲盛氏は経済的に十分なゆとりのある現在でも、贅沢をすることに対しては潔癖すぎるほどの警戒心を保っている。
現在でも仕事上の会食以外では、豪勢な食事をするようなことはめったにありません。何万円もするような食事をしようと思えばできるのでしょうが、そんな豪華な食事を平気で取れるという、慢心が恐ろしいのです。自分が贅沢をしたりするということは、慢心や驕りにつながっていくと自らを戒めてきましたので、それが習性になっているのだと思います。
人間は成功すると、どうしても慢心し、かつて謙虚であった人でも傲慢な人間へと変貌してしまうものです。そうしてだんだんと人間性が変わっていってしまいます。経営者や社員が慢心していくのと軌を一にして、企業の業績も悪くなっていくものです。私もこれまで、才覚あふれる経営者たちが流星のごとく現れてはやがて没落していった例を多く見てきました。彼らが没落していった理由は、「成功」という試練に耐えられず、人格、人間性、考え方などが変わってしまったからにほかなりません。そう考えると、成功を持続させる働き方として大切なのは、「無私の心で働く」ということだと思います。我欲を満たそうとするから、慢心が起きるのです。
「社長業には何が大切か」と聞かれて、こんなふうに答えたことがありました。第一に、「社長は公私の区別を峻厳に設けること」。公私混同をしてはいけませんし、特に人事については公正でなければなりません。第二は、「社長は企業に対し無限大の責任を持つこと」。企業はもともと無生物。そこへ生命を吹きこむのが社長の仕事なのです。第三は、「社長は自身の持つすべての人格と意志を会社に注入しなくてはいけない」。さらにいえば、経営者にはひとかけらでも「私」があってはならない、ということです。社長が個人に戻るとその間、会社はおろそかになります。「私心」というものをできるだけなくそうと努力しないといけないのです。