「フィルターバブル」の恐怖
これは、昨日の大事故や驚愕事件あるいは重大決定など、社会的に重要だと思われる情報を、一定の価値観のもとではあるが、ある程度網羅的に提供しているマスメディアの姿とはまるで違う。
これをパリサーは「フィルターバブル」と呼んだ。「フィルターをインターネットにしかけ、あなたが好んでいるらしいもの──あなたが実際にしたことやあなたのような人が好きなこと─を観察し、それをもとに推測する。このようなエンジンに囲まれると、我々はひとりずつ、自分だけの情報宇宙に包まれることになる」、「人気ランキングとフィルターバブルの組み合わせでは、重要だが複雑なものが抜けてしまう」などと書いている。
とくに見たくないけれど見ておくべきこと、見ておいた方がいいことが世の中にはある。それは重要でもある。「パーソナライズされた環境は自分が抱いている疑問の解答を探すには便利だが、視野にはいってもいない疑問や課題を提示してはくれない」。
インターネットは短期間のうちにここまで“進歩”した、というか、“発達”した。だから、インターネットの便利さを享受しつつ、そこから一定の距離を保つ心がけが必要になる。サイバーリテラシー・プリンシプル(1)は「現実世界に軸足を置く」だった。哲学者の東浩紀は最近『弱いつながり』(幻冬舎、2014)という「啓蒙書」を書いた。「ひとが所属するコミュニティのなかの人間関係をより深め、固定し、そこから逃げ出せなくするメディアがネットです」と記し、「自分を変えるために、環境を変える旅」に出ることを勧めている。