自分好みの情報に閉じ込められる

アマゾンのリコメンデーションは、この本を買った人はこういう本も買っています、と類書を推薦したり、ウエブ閲覧履歴や検索の入力キーワードなどからあなたの性向、好みを推測し、興味のありそうな本や商品を紹介してくれたりする。グーグルの検索サイトも、キーワードにそった事項を表示する順序に、あなたのオンライン上の情報活動が反映されている。便利といえば便利な機能だが、別の観点からすると、インターネットそのものが自分の好みや意見を反映したものに作り変えられている(再構成されている)ということである。

自分と同じような意見が集まり、対立する意見や、まるで違う考え方などは、たとえインターネット上にあっても、あなたからは「見えなく」なっていく。検索エンジンとかSNSなどのビッグデータ解析力が高まれば高まるほど、その傾向は強くなる。

かくして私たちは自分好みの一種のタコツボの中に閉じ込められる。当初、あらゆる考え方、情報があふれ、それを自由に選択できるすばらしいツールと捉えられていたインターネットの姿が、いつのまにか大きく“変貌”している。

人間関係もそうである。地理的、職業的、年齢的に限られた世界を離れた多彩な人びとと出会えるツールとして歓迎されたが、今やインターネットは仲間を固定化し、その絆を強めるようになってきた。だからSNSなどでは、家に帰っても学校友達のつながりから自由になれず、しかも四六時中その輪の中にいることが強制される。インターネット以前の「井の中の蛙」への回帰と言ってもいい。

サイバーリテラシー・プリンシプル(9)は「インターネットは新たなタコツボ化を促す」である。