タイプライターが復活した理由

NSAによる大規模盗聴を扱ったグレン・グリーンウォルド『暴露』には、告発者のエドワード・スノーデン氏が最初に著者に接触したとき、「重要な文書を送りたいので暗号ソフトのPGPをインストールしてくれ」と頼むシーンがある。一方で、彼らはインターネットに決してつながないパソコンを用意した。インターネットに安全につなぐ方法を工夫しながら、一方で、インターネットそのものから遮断することを心がけていたわけである。

同じくこの事件に関連してガーディアンの記者が書いた、ルーク・ハーディング『スノーデンファイル』(日経BP社)は、後段で「スノーデン事件の最も予期せぬ効果はタイプライターの復活だろう。……駐英インド高等弁務官事務所(ロンドン)では、2013年の夏からタイプライターを再び使いはじめた。最高機密資料は電子データで保存しない、と高等弁務官のジャイミニ・バグワティは『タイムズ・オブ・インディア』に語っている」と書いている。

そのあとには、「ロシアの連邦プロテクションサービス(FSO)は、タイプライターを大量に注文した」、「通信分野を大きく転換させたPC革命も休止を余儀なくされた。プライバシーを気にする人たちはインターネット以前の時代に戻りつつあった。タイプライター、手書きメモ、秘密のランデブーが再流行。伝書バトの復活も時間の問題だった」というくだりもある。ロシアのタイプライター大量購入は2013年7月にイズベスチャが報道した(両著の紹介は、<5分間のサイバーリテラシー公開授業・事件編(2)の補遺。http://www.cyber-literacy.com/cll/class/casefile002>参照)。

私は2005年に出版した『サイバー生活手帖』(日本評論社)で「監視社会をどう生きるか」について、(1)なるべく多くのコンピュータから離れた「聖域」をつくる、(2)情報を吸い取られない権利の確立、(3)監視からなるべく逃れる、(4)監視されるなら監視し返す・みんなで監視しあう、(5)「監視されても気にしない」の5つを上げたが、監視の網の目はいよいよ細かく、かつ大規模になっている。

たとえばNSAの盗聴がそうだが、事前にあらゆる情報をかき集めておいて、何らかの必要が生じたときに、関連データを検索するという方法で、いつ何時それが利用されるかわからないという恐れがある。そのほとんどは「死蔵」され、見向きもされないだろうし、実際にNSAにそれらの情報を管理する能力があるかどうかも不明だとしても、である。だから、いよいよ(5)の「監視されても気にしない」という空気が蔓延しているとも言える。もはやコンピュータやインターネットから離れて生きることは不可能と言ってよく、「聖域」は狭まる一方である。

PGP(Pretty Good Privacy)という暗号ソフトは10年ほど前にはかなり話題になり、私自身も友人に勧められて使ってみたことがある。しかし、その煩瑣な手続きはインターネットの便利さを阻害すること甚だしく、すぐやめてしまった。友人に「今も使っているか」とあらためて尋ねたら、「今は使っていない。やはり面倒だし、そもそもPGPを使ってくれる相手がいない」とのことだった。