残った1棟は今ではトヨタ白川郷自然学校のシンボルとして、同校正面入り口前に大切に保存されている。だが、56豪雪後はこの1棟の管理人配置も取りやめ、購入した馬狩地区全体がしばらく放置されたままになっていた。
状況が一変するのは1995年からである。同年、白川郷の合掌造り集落(114棟)は白川村から国道156号を約20キロメートル北上した五箇山(34棟)とともに、ユネスコの世界遺産に登録される。97年にはCOP3の開催によって京都議定書が採択。この2つの外部環境を発端にして白川村は「環境を軸にした地域の活性化」にのりだす。一方のトヨタも同年12月、世界初のハイブリッド量販車、初代プリウスを発売し、今に至る「環境貢献型企業・トヨタ」の世界的イメージを構築し始める。トヨタにとってはこれが白川村の所有地をめぐる内部環境の変化となる。この外部環境と内部環境の両方をうまく結合させて何かできないかという気運が、白川村とトヨタの双方で一気に盛り上がった。トヨタは、環境省所管で当時から最も権威のあった環境N G O「日本環境教育フォーラム」(岡島成行理事長)に相談を持ちかける。白川村を含めた3者間の協議で「トヨタ白川郷自然学校」の建設計画が浮上。
すでに社内では「本業で培った環境技術をさらに広い分野に適用し実証したい」「白川村の所有地を環境保全の実践モデル地区にしたらどうか」との声が挙がっていた。最終的にこだわったのは「(一般の人たちを対象にした)環境教育をメインにしつつ、地域との共生を図る」というものである。
トヨタは「クルマづくりを通じて社会に貢献する」「そのためには地域との共生が大事」を創業以来のテーマとして掲げている。地域との共生といえば当然、環境問題は切っても切れない関係性として浮上してくる。その関係性を、環境教育というかたちで社外に展開して社会貢献活動につなげていこうというわけである。自然学校のフロントに立つと、真正面に「共生」と書かれた豊田章一郎氏による直筆の色紙が目に飛び込んでくる。経団連は2000年に「自然保護基金」を設立した。基金設立に尽力した経団連会長は当の章一郎氏。ほぼ同時に「環境を考える経済人の会」が発足。営業利益の1%を社会貢献活動に投じる「1%クラブ」活動にも、章一郎氏は熱心だった。