犯人を先に特定する無理が通された

殺人事件に関する資料も渉猟した。国会図書館では、裁判月報、警察公論、警察研究など。当時、中野刑務所に隣接して矯正図書館があり、紹介を得て入館し、犯罪学雑誌なども閲覧した。

司法関係専門の古書店へも頻繁に出入りして、貴重な資料を入手した。そのひとつに、刑事資料「捜査実務 基本要領」(警視庁刑事部 昭和44年発行)がある。発行時期は、袴田事件が発生して3年後、静岡県警と警視庁の違いはあるものの、その頃の刑事捜査員の心得が説いてあり、興味深い。

「情報については、入手経路、内容等を詳細に検討し、真実性の判断を誤らないようにしなければならない。内容自体に矛盾がないかどうかを、自分の先入観や偏見を捨てて、客観的に判断しなければならない。風評のような場合には、特にその出所を追及し、その真相を見抜くべきである」

では、実際に袴田事件の「情報」はどう処理されたか。

静岡県警は事件後、「捜査記録」を印刷発行している。それによると袴田さんは、「虚言が多く」「女癖が悪く」「金に困ると自分の衣類を入質」「会社の勤務状態も悪く」「従業員の中では最も疑わしい」とある。

これらの情報について、静岡県警は裏付けをとり、事実かどうか確認をとったのか。その形跡はない。私が取材したかぎりでは、そうした情報はすべて否定された。(拙著『袴田事件』に詳述)

事件発生直後、清水署が捜査を担当していた際には、「一家4人殺害」「放火」事案とされていた。当時の署長は、「猟奇的」とも表現している。おそらく、それは二女の殺害について述べたものであろう。

当初、捜査は、怨恨、痴情のもつれ、人間関係のうえでのトラブルなどの可能性も排除せずに進められた。ところが、有力な情報は得られない。

「49日過ぎて、ホシをあげられないようでは、刑事の面子が立たない」

私が懇意にしていた警視庁のベテラン刑事の言葉である。被害者が仏教徒であるかどうかは別として、こころある刑事には、7週間かけて調べて「迷宮入りか」では、世間に申し訳がたたない、という意識があったようだ。

このような重大事件が解決されないとあっては、静岡県警にしてみれば沽券にかかわるであろう。県警本部からは捜査一課の「腕利き」が派遣され、捜査を指揮する。そのあたりから、「シナリオ」が創作されたように思えてならない。

捜査一課は、この事案に「強盗」を加えた。そうなると、犯人の目的、動機もハッキリして、わかりやすい。さらに、犯人を従業員に絞りこむ。そこで、出てきた情報が、前述した捜査記録で、「最も疑わしい」とされるものであった。

こうして、事実による証拠がためよりも、犯人を先に特定するという無理が通された。それは、いくつもの矛盾を生むことになる。

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