日本経済失速の根本的な原因とは

日本経済の低迷が20年も続いているのは、なぜだろうか。その根本的な原因は、日本的経営が機能不全を起こしていることに求めることができる。

そもそも、日本的経営とは何なのだろうか。ここで思い出す必要があるのは、日本的経営の「三種の神器」として、終身雇用、年功制、企業別組合の3つの要素が、しばしば取り上げられることである。

「三種の神器」がいずれも労使関係にかかわる事柄であることは、労使関係が日本的経営の中心的な要素であることを、端的に物語っている。この点を考慮に入れれば、日本的経営とは、「協調的な労使関係を基盤にして、従業員利益の最大化をめざす経営」であると、言うことができる。

日本の大企業のなかで、専門経営者が所有者に対して経営の主導権を握る経営者企業は、戦前には少数派にとどまっていたが、高度経済成長が始まる50年代半ばまでに主流を占めるにいたった。

それからしばらくして、日本の大企業では、「企業は誰のものか」という問いに対して、経営者も従業員も「従業員のもの」と答えるようになった(その場合、経営者は、従業員の出世頭として、「従業員」の中に含まれるものとみなされた)。これは、同じ問いに対して「株主のもの」と答えるアメリカの状況や、「労働者のもの」と答える旧ソ連の状況とは、大いに異なるものであった。

「株主のもの」であるアメリカの企業の多くでは、専門経営者が、株価の上昇を至上命題とする株主の指令に従わざるをえなかったため、短期的な利益の追求に目を奪われて、長期的な視野に立つことができなかった。また、配当重視の利益処分を余儀なくされて、将来の投資のための内部留保を十分に行うこともできなかった。

一方、「労働者のもの」である旧ソ連の企業では、労働者が、一人当たりの取り分の減少をおそれて、労働者数の増加、つまり企業の成長に反対した。また、企業間競争が存在しないため、労働者が新技術の導入に抵抗する傾向も強かった。

これに対して、「従業員のもの」である経営者企業タイプの日本の大企業は、アメリカや旧ソ連の企業で作用したこれらの企業成長を妨げる要因から、自由でありえた。その結果、50年代半ばから80年代にかけての時期に日本的経営を実行する日本の経営者企業は、成長志向型の意思決定を繰り返し、日本経済が他国経済に比べて相対的な高成長をなしとげることに貢献した。