いつの間にか「失われた20年」に突入した

今回は、まず、自己批判から始めなければならない。

バブル景気が崩壊してしばらく経った1995年3月に刊行された『日本経営史』(有斐閣、宮本又郎、阿部武司、宇田川勝、沢井実との共著)の「エピローグ」で筆者は、次のように書いた。

「このエピローグでは、日本企業が直面する諸問題をあえて強調してきたが、それでは、日本企業はこれらの問題を克服する力をもっているのだろうか。ここで注目したいのは、日本の企業が、戦後だけに限ってみても、敗戦と占領下の構造改革、貿易および資本の自由化、石油ショックなどの、さまざまな危機を乗り切ってきたことである。日本企業の危機突破能力、問題解決能力は相当に高い、と言うべきであろう」(332 ページ)

また、それから6カ月後に発表した論文(「日本の企業システムと高度成長」橋本寿朗編『 20世紀資本主義I 技術革新と生産システム』所収、東京大学出版会、95年9月)でも、日本の企業システムを「会社主義」と特徴づけたうえで、

「バブル経済が崩壊して以降の今日の日本では、企業のリストラクチャリングの必要性が声高に叫ばれ、会社主義と密接不可分の関係にある長期雇用制や年功制の根本的見直しを求める論調が強まっている。しかし、ここで見落としてはならないことは、会社主義が、危機対応能力に優れたシステムであることである。会社主義が経済成長に本格的に貢献するようになったのは、日本企業の内部に貿易・資本の自由化に対する危機感が広がった時期のことであった。日本の会社主義が国際的な注目を集めたのは、石油ショック後の世界的な資本主義の危機的状況下で、優れた対応能力を発揮したからであった。ポスト・バブルの今日、日本の多くの企業において、経営者と労働者を含めた全従業員が、強い危機感を共有しながら、企業の存続のためにリストラクチャリングに取り組んでいる姿は、上記の2つの危機を突破したときのことを想起させる。優れた危機対応能力のゆえに、会社主義の生命力は、意外と強靭なのではないか。二度あったことは、三度ありそうな気がする」(163~164 ページ)

という見解を示した。

別図 日本の実質経済成長率の推移(1956~2009年度)
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別図 日本の実質経済成長率の推移(1956~2009年度)

しかし、それから16年を経過した今日においても、大局的にみれば、日本企業が危機突破能力を発揮し、問題を解決したとは言えない。日本の実質経済成長率は、この20年間、低迷したままである(別図)。スイスのIMD(国際経営開発研究所)が毎年発表する国別国際競争力ランキングで92年まで1位を占めた日本は、その後順位を後退させ、最近では27位にまで下落している(2010年)。

バブル崩壊後の90年代は日本にとっての「失われた10年」と呼ばれたが、それが、いつの間にか「失われた20年」となったというのが実情である。16年前の筆者の甘い見通しは外れたわけであり、本稿を自己批判から始めなければいけない理由は、ここにある。