東西の歴史と血が混じるウクライナ

ウクライナ情勢はGゼロの時代の地政学の新しい応用問題ではないかと私は思っている。

5月25日に大統領選挙が実施されて新しい政権が発足することになっている。しかし東部の親ロシア派が大統領選挙を阻止(あるいは不参加)する構えを見せていて、予断を許さない。

仮に大統領選挙が実施された場合、親ロシア派が多数のクリミアがすでに独立してしまっているので、親EU派がマジョリティを獲得する可能性が高い。するとドネツク、ルガンスクばかりではなく、東部、南部のいくつかの州でも独立運動の火の手が上がる恐れがあり、かつてのユーゴスラビアのような内戦状態に突入しかねない。

「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と評されるほど複雑なバルカン半島の火薬庫(旧ユーゴ)を一つにまとめあげていたのは、ヨシップ・ブロズ・チトー大統領というカリスマ指導者だ。

そのチトーが亡くなると民族紛争が一気に噴き出して内戦状態に陥り、最後には分裂した。分裂した結果、人々は幸せになったかといえば、決してそうではないと思う。散り散りになっても互いに反目し合っている旧ユーゴ地域は、存在感を失い、特に南部はヨーロッパで最も忘れ去られた地域の一つになった。

バルカン半島同様に、ウクライナも東西の文明や民族、宗教がぶつかり合う要衝であり、歴史に翻弄されてきた。

東西の歴史と血が混じり合って、霜降り肉のようになっているウクライナでは「親ロシアか、親EUか」、AかBかという議論は本来なじまない。どちらを選択しても、納得せずに足を引っ張る人たちが大勢出てくるからだ。共通のインタレスト(利害)がない地域をどうやって治めるかというのは地政学の永遠の課題で、チトーのようなカリスマ指導者が出てこなければなかなかまとまらない。

しかし、ロシア解体後のウクライナを治めてきたのは、親ロシア派であれ、親EU派であれ、国を豊かにすることよりも自分の懐を潤すことに熱心な政治家ばかりだった。クチマやユーシェンコがトップ5に入る金持ちで、ロシアに逃走したヤヌコビッチの金満ぶりが民衆の怒りを買ったのも、この病気の深刻さを物語っている。身を捨ててでも国家の発展に尽くす政治家や役人がまともに出てこないことがウクライナの不幸ともいえる。