ところが、専務の田村実が国内営業の最高責任者となった06年から、「締め支払い」が厳格に決められた。
滋賀ダイハツの後藤もスズキについて「国内販売では業販店政策で、以前とは随分違って近代的な取引が行われるようになってきた」と、浪花節ではない点を指摘する。
田村は次のように話す。
「資金繰りをきちんとできないようでは、経営にはならない。いつでも支払いを延ばせると思えば、回収が甘くなります。さらには、会社の金と自分の金とが一緒になってしまうケースもある。5年経ちようやく定着してきましたが、業販店の若手経営者には支持されてます」
業販店に対してスズキは資金提供をしたり、看板などは無償で取り付けるなど支援は厚い。しかし、資金が本業ではなく株取引やゴルフ場会員権の購入に向かうケースもあった。このためズブズブだった取引関係に明確なルールをもち込んだ形だが、「いままでがおかしかった」(スズキ幹部)という指摘もある。
では、なぜ田村はここまで、変えることができたのだろう。
田村のかつての部下は、「田村さんは30年近く前から、回収には厳しかった。アイスクリーム屋を営んでいた親御さんから、回収の大切さを少年の頃に仕込まれたため」と述懐する。溶けてしまうアイスの商売は、迅速な回収が重要なのは言うまでもない。
元部下によれば、80年代当時に東京の販社に出向していた田村は、多摩センターの所長などを歴任。テープレコーダーをいつももち歩き、古い車を見つけるとナンバーや車検時期などを録音してネタとする、根っからの営業マンだった。また、売り上げが絶対だった時代に、当時から営業マンの評価を粗利率で決めていたという。「粗利率に言及する上司などいなかった。回収が終わるまで、営業は終わらないと私は教えられた」。