「敗北思想」の実態を知る日本の安保世代
私は今回の国会占拠事件に日本の60年安保、70年安保を重ねて見ている。あの頃、日米安保でアメリカの傘下に入ったら、ソ連(当時)から一番近い日本が最初に攻撃される。日本を危険に晒すということで、国の将来を憂いて若者は「安保反対」のシュプレヒコールを上げた。あれから半世紀が経過して、今や経営者になった同世代と昔話をすると、「あれぐらい間違った主張はなかった」と誰もが言う。安保を覆してソ連と組んでいたら日本も一緒に滅んでいたかもしれないし、今のウクライナみたいになっていたかもしれない。しかし、「あの国の将来を思う純粋さは美しかった」と皆口を揃える。
デカダンス(退廃主義)に陥るよりも、国の将来を憂うほうがいい。占拠した学生は将来の台湾を担う人材としてもはるかに有望だ。馬政権としてもそういう空気を読んだから、3週間以上も国会から彼らを強制排除しなかったのだろう。しかし彼らの危惧は「敗北思想」で実態を知ったうえでのものではない。そうはっきり言えるのは(私のような)日本の安保世代の人間だけだろう。飛行機に乗って、それを言いに行きたい衝動に駆られる。
(小川 剛=構成 ロイター/AFLO=写真)