大学卒業後の55年に前川製作所に入り、71年に社長に就任。この頃から、「経営の世界は禅の世界と同じだ」と思うに至る。どういうことか。「禅は中国から日本に入ってきたものですが、中国の禅と日本の禅はまるで違うものです。中国の禅はひたすら座って思索するだけですが、日本の禅は思索の後に必ず行動を伴います。それが端的に現れているのが剣道や弓道、華道といった日本独自の稽古事の世界。それらの基礎には禅が存在します。経営もそうで、何かに悩み、その解決策を徹底的に考えた後、その策を試すという行動が不可欠です」。
禅の考え方は現場の改善や製品開発にも生かされている。「禅とは自分を無にすること。自分が見たものをそっくりそのまま、相手に伝える。西田幾多郎のいう純粋経験の交換であり、これこそが日本の禅の精神です」。つまり、同じ事象を、科学技術者、生産技術者、マーケティング担当者、メンテナンス担当者、営業といった職能の異なる複数の専門家が、あたかも赤ん坊に戻った気持ちで見る。その後で、そうした言語化される以前の感覚をお互いすり合わせていくと、「ああ、そうなのか」という一致点が見つかる。そこが改善ポイントであり、イノベーションのきっかけになるのだという。
無になるということは、自分という“主”、相手という“客”を捨てることでもある。前述のトリダスは形になるまで実に14年という歳月を要した。「肉を切る」という作業を機械化することがうまくいかなかったからだ。プロジェクトはいったん中止に追い込まれたが、なおも諦め切れなかった20代の若手社員が、文字通り、主客を捨てることでブレークスルーを果たした。「人間の優れた手技はどうしても機械では真似できない。ならば、自分がその技を体得するしかない、と、彼は鶏の加工場に入り、見よう見まねでひたすら鶏をさばいたそうです。いわば機械設計者という主を脱ぎ捨て、鶏をさばく人という客になってみたのです。その結果、刃物を使い、肉を骨から切り離すのではなく、引きはがすという動作が鍵だということを体得し、その動作を機械で再現したところ、みごと製品化にこぎつけることができました」。