坐禅の“解放力”
坐禅していると、解放される。
外側からやってくるいろんな意味から解放される。
そして、たった、一つ、
「ああ、これだ!」
と、よりよいものを選べるようになる。
外側からやってくるいろんな意味から解放される。
そして、たった、一つ、
「ああ、これだ!」
と、よりよいものを選べるようになる。
「心」のいちばん元の意味は、なんだったのだろうか?
じつは、「心」の元の意味は、人間の内臓の働きと、人間の精神の働きをいった言葉であった。それがわかれば、すぐこの問答のいわんとするところに気がつく。
「即心是仏」の「心」は、心の元の意味、内臓の働きと精神の働きの意味で使っている。
もはや説明の必要はないと思うものの、人間の内臓の働きと、人間の精神の働きは、すべて「アミターバ」「アミターユス」の生命活動が主宰していた。
したがって、「即心是仏」とは、人の体のなかで活動してくれている「アミターバ」と「アミターユス」の生命活動が、そのまま(即)仏なのだ……と。
最初この問答をいただいたときには、まるで心の意味がつかめなかった。
老師は、坐禅をくませながら、何回も独参してくださって指導なさる。そのうち「心」を自分の基本的生命活動と見破る。
坐禅をすると、ふしぎと自分でわかる力、気づく力が育ってくる。
「坐禅」をする人だけがたどり着ける境地がある
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