「仏とは、いったいなにか」
つまりは、シャカの悟りにたどりつくためのガイドブック。
シャカの悟りを発覚する案内書であった。
だから、四十八則の案内書があっても、到着点は同じ。行く先は1カ所、シャカの内省の悟り!
たとえば、行く先は京都……。が、行く道はたくさんある。
その行き方の道すじの数が、四十八ある。が、行く先は京都だ……。そんなふうにいろいろな禅問答を気楽に思ったらいい。
いずれにしても、面白くない、わからない、気になる言葉や表現にまったくとらわれず、そのなかにピタリと、シャカの悟りの真実・真理の在り方を見抜けばいい。
さて、最後は、有名な第三十則。まず、原文から。
馬祖、因みに大梅問う、「如何なるか是れ仏」。祖云く、「即心是仏」。
超訳する。
馬祖和尚(708‐788/中国・唐代の禅僧)に、あるとき、お弟子さんの大梅が質問した。
「ほとけとはなんですか?」
すると馬祖が、
「心が、仏だよ」
と、答えた。
ただ、それだけの問答だが、ちょっとわからない……。
わたしの生きてきた時代は、「勝ち組になれ」「むだなことをするな」「能率をあげろ」といわれた。そして、なによりも「結果を出せ」と求められた。努力した。
しかし、わたしは、土曜日、日曜日は、ほとんど禅寺に行って、坐禅した……。
坐禅して、ジーッと坐って、禅問答を解いて、「勝ち組」になれるはずはない。一般からすれば、坐禅は「むだなこと」で、なんら「能率のあがらないこと」だった。
「あなたの心が仏である」の本当の意味
菊の香りにつつまれた、たくさんの仏たち……。
どれがほんとうの仏なの?
じつは、仏は、あなたとわたし!
仏像には、いろいろな名前がついている。日光菩薩、月光菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、千手観音、観音菩薩など、きりがない。
「如何なるか是れ仏」
といわれたって、どれが、まことの仏なのか、わからない……。
その答えは、なんと、
「即心是仏」
である。
あなたの心が仏である、といわれたって、心の意味も、さまざまだ。
心が通う――そのときの心は「気持ち」。
心がくじける――そのときは「気力」。
心に懸ける――そのときは「意識」。
心に任せる――そのときは「思い」。
心にもない――そのときは「本心」。
そのほか、「感情」「思いやり」「おもむき」「誠意」など、きりがない……。

