楽しみが「プレッシャー」「義務」に
このときに気づいたのは、コンテンツがコミュニケーションツールになることには、二つの側面があるということです。
一つは、同じものを好きな人同士がつながれるという楽しい側面。もう一つは、そのコミュニティに残るために、共通言語となるコンテンツを見続けなければならないプレッシャーが生じるという側面です。
この二つの側面を考えると、コンテンツがコミュニケーションツールになること自体はとても豊かなことである一方、そのコミュニケーションの場が増えすぎ、速度が上がりすぎた結果、追いかけなければならないコンテンツの量が膨れ上がっているという事実があります。
これまでにお伝えしてきたとおり、コンテンツ一つあたりの金額は下がり、ネット上には無数のコンテンツが流れ続けています。それに加えて、SNSによって僕たちがつながるコミュニティの数も増えました。
学校や職場、友人関係だけではなく、趣味のコミュニティ、推しのコミュニティ、読書好きのコミュニティ、映画好きのコミュニティ、コミュニティとまでは呼べないSNS上のゆるいつながり。
いろいろな人と関わる場所が増えれば、そのぶん、そこで共有されている話題も増えていきます。
その結果、そのコミュニティに残るために「見ておかなければいけないコンテンツ」が、掛け算式に増えていくのです。
じっくり観るより多くを流し見る
だから、読んでいない本の要約や解説動画を見て、なんとなく読んだことにする。観ていない映画やドラマのネタバレ、考察、切り抜きを見て、さも自分も全部見たかのように会話に参加する。SNSの最新の話題に追いつけるようにバズっているコンテンツを見漁る。
もちろん、それがすべて悪いと言いたいわけではありません。限られた時間の中で、話題についていくための工夫でもあるからです。
ただ、その背景には、インターネット上のコミュニケーションと、身の回りの人間関係を、きれいに切り分けることができないという人間の特性があります。
目の前の友人との会話だけでなく、SNS上で流れてくる話題にもついていかなければならない。身近な人間関係にとどまらず、ネット上で繰り広げられる無数の会話にも参加し続けなければならない。
そうして、僕たちにとって必要なコンテンツは、どんどん増えていきます。結果的に、一つのコンテンツをじっくり観ることよりも、多くのコンテンツを流し見ることに価値を感じやすいのです。
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