「ボケたふり」は、れっきとした生活技術
最近わたしは、「ボケたふり」は、れっきとした生活技術だと思っています。
全部わかっている顔をしなくていい。全部覚えているふりをしなくていい。
「あら、そうだったかしら」といえる余白を、自分に許してあげる。
そうすると、不思議なことに、人間関係も楽になるの。
相手も肩の力が抜けて、こちらに完璧さを求めなくなるのよ。
そのほうが、ずっと長く、穏やかに付き合えるのね。
豪華な料理も、気の利いた話題も、ぜんぜん必要ありません。
そして、こうして暮らしを整えていくうちに、自然とたどり着くのが、「最後までひとり暮らし」という言葉なのよ。
これは、孤独を選ぶという意味ではないのね。
誰とも関わらないという意味でもないのよ。
自分のリズムで暮らす。
自分の機嫌を、自分で取る。
無理をしない人間関係を選ぶ。
それができるようになるのは、長く生きてきた証拠。
最後までひとり暮らし。
それは、寂しさの放棄ではなく、自由の選択です。
今、そう思えるようになったことを、わたしはとてもありがたいと思っています。
本当に必要な関係は残る
人間関係も、最終的には、とてもシンプルになります。
たくさんの人とつながっていなくてもいいの。
年賀状の枚数が減ってもいいの。
連絡を取らなくなった人がいてもいいの。
それは、孤独ではないのよ。
静かな選択なんです。
本当に必要な関係は残ると思うのね。
無理をしなければ続かない関係は、自然に終わります。
それでいいのです。
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