昔、よく一緒にランチをしていた知人

昔、よく一緒にランチをしていた知人がいました。

毎回同じ店、同じ席、同じメニュー、そして同じ話。

最初は、「まあ、安心するわよね」と思っていたの。

でも、3回目、4回目になると、話の途中で、次に出てくる言葉がわかってしまう。

そういう自分に気がついて、ああ、これは少し距離を置いたほうがいいのかもしれないな、と思ったわ。

でも、その「距離を置く」が、なかなかできないの。

だから、「その日は用事があって」「ちょっと体調が」とかいいながら、少しずつ回数を減らしていったわ。

それである日、相手がぽつりと「最近、忙しそうね」といったそのひとことで、ああ、ちゃんと伝わっているんだな、と少し安心したのを覚えています。

人は、案外、敏感なんですよね。

こちらが無理をしていることも、そっと離れたいと思っていることも、全部わかっていたのよ。

コーヒーを飲みながら会話するシニアビジネスマンとシニアビジネスウーマン
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです

だから、こちらも、無理に説明しなくてもいいんだと思っているわ。

近所付き合いも、顔を合わせたら、「寒いわね」「暑いわね」と一言二言交わすくらいが、ちょうどいいみたい。

ゴミ出しのときに会って、「今日も早いわね」といわれて、「目が覚めちゃって」と答える。

そのくらいの距離感が、今のわたしには心地いいのよ。

親しくなりすぎないことで、長く安心していられる関係もあるのね。

「もっと」「もっと」を重ねない

80代になると、「寂しい」という感情とも、うまく付き合う必要が出てきます。

寂しさを感じない人はいないと思う。

わたしにもあります。

夜、テレビを消したあと、急に部屋が広く感じられて、冷蔵庫の音だけが聞こえるとき、ふっと胸の奥がひんやりすることが……。

でも、その寂しさを誰かに埋めてもらおうとすると、関係は少し歪んでくると思うのね。寂しがり屋さんほど、無意識に相手に期待してしまうのよ。

「もっと連絡して」
「もっと話を聞いて」
「もっとわかって」

その「もっと」が重なると、相手は疲れてしまうわ。