何かされたら、まず「ありがとう」
年をとると、「ぼける」という心配も出てきますよね。
物忘れが増えたり、鍵をどこに置いたか思い出せなかったり。
わたしは、そういう自分を、「優しいような、怖いような、怪しいような、不思議な老人になっていく途中」と思うようにしているわ。
魔法は使えないけれど、なんでもかんでも「ありがたい」と思えてしまう老人。
何かされたら、まず「ありがとう」。
嫌なことをされたら、「あら、わざわざ教えてくれてありがとう」。
そういう感謝のクセがついてくると、世界の見え方が、ちょっとおかしくて楽しくなるの。
もちろん、世の中には、クレームをつけて意地悪をする人もいます。
本当に、そういう人っているのよね。
でも、わたしはいつも、「幸せな人は、人を困らせたりしない」と思うようにしているわ。
いつも文句をいって、ケチをつけることを探している人や、健康にうるさくて、他人の生活にまで口を出してくる人は、きっと自分の中に何か原因があって、落ち着ける場所をまだ見つけられてないんじゃないかな、と。
「かわいそう」といってしまうと、上から目線になってしまうから、あまりその言葉も使いたくないわね。
ただ、心の中で、「この人が、いつか自分の居場所を見つけて、誰かを責めなくても済むようになるといいな」と、そっと願うことにしているわ。
80代の体と心には、もう無理はしない
この年になって、しみじみありがたいなと思うのは、「もう無理しなくていいんですよ」と、誰かにいわれたわけでもないのに、自分の中から自然にその言葉が湧いてくるようになったことかな。
若いころは、無理をするのが当たり前だったのね。
むしろ無理をしていないと、「ちゃんとしていない人」「がんばりが足りない人」みたいに思われるのが怖くて。
つい予定を詰め込んで、人に合わせ、疲れていても笑って、家に帰ってから、ひとりでぐったりしていたわ。
今思えば、あのころのわたしは、体力よりも、気力を使い果たしていたんだわ。
80代になってわかったのは、体の衰えよりも、気力の消耗のほうが、ずっと生活に響くということよ。
人間関係も同じです。
若いころは、「誰とでもうまくやれる人」が立派で、「好き嫌いをいわない人」が大人だと思っていたの。
でも今は、「自分が元気でいられる人間関係を選べる人」のほうが、よほど成熟していると思います。
「なんだか、この人と会うと疲れるのよね」という感覚は、年をとったから生まれるのではなく、年を重ねてきたからこそ、はっきり聞こえてくる心の声なのだと思います。
悪い人ではない。むしろ親切で、真面目で、きちんとした人。
でも、話していると、こちらがずっと聞き役で、相づちを打ち、うなずき、帰るころには肩が重くなっている。そういう関係は、80代の体と心には、もう負担が大きすぎるのね。

