老いは少しずつやってくる
そのとき誰かが、ずいぶん前にいっていた言葉が、ふと頭に浮かびました。
「転倒に気をつけなさいよ」
当時は、「はいはい」と、どこか他人事のように聞いていた言葉。
ああ、こういうことだったのね。
床に寝転びながら、わたしは妙に納得していたの。
恐怖よりも、発見に近い気持ちだったわ。
それから時間をかけて、少しずつ体を動かしました。
指先を動かし、肘をつき、膝を曲げ、呼吸を整えながら、ゆっくり、ゆっくりと起き上がりました。
急ぐ理由は、何一つありませんでした。
立ち上がれたとき、ほっとしたわ。
それと同時に、「ああ、これが老いるということかしら」と、妙に冷静に思ったの。
悲観でも、あきらめでもなく、ただの事実として、静かに受け止めるような気持ちだった。
老いは、ある日突然やってくるものではないのね。
こうして、小さな出来事の中で、「あれ?」と気づく形で、少しずつ、確実に近づいてくるのだと、そのとき体でわかった気がしたんです。
生き方が変わると、住む部屋も変わる
実家は、今は空き家です。誰も住んでいないの。
人がいなくなると、家というのは、驚くほど早く変わるのよ。
音がなくなり、匂いが薄れ、空気が動かなくなる。
家具はそのままなのに、まるで別の場所のように感じられるわ。
思い出だけが残って、音がなくなる。
そんな状態よ。壁や床は何もいわないけれど、そこにあった生活だけは、確かに覚えているような気がするわ。
空き家になった実家を思うと、今住んでいるこの部屋のことを、少しだけ、いとおしく感じるの。
転んだり、つまずいたり、思うようには動けなくなったりしながらも、まだわたしは、ここで生活している。この部屋は、まだ、わたしに使われている。
床に倒れたあの日、わたしは、老いを実感したわ。でも同時に、「まだ生きている」ということも、はっきりと感じたの。
転ぶことができるのは、動いている証拠です。痛みを感じるのは、体が働いている証拠です。
老いは、終わりではないのよ。形を変えながら、生き方を調整していく過程なんだと、あのとき床の上で、わたしは静かに理解しました。
転んだ日、床の冷たさと天井の高さを覚えながら、わたしは、これからの時間を、どう生きていくのかを、あらためて考えたわ。
急がず、無理をせず、慌てず。
そして今日も、この部屋で、ひとりで大丈夫だと、そっと自分にいってあげるの。
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます


