先の阿部先生の研究の話に戻ろう。
つまり、「何が解ったら、解ったことになるのか」とは、いわば自身で研究の目的を定めることにほかならない。研究の目的は何か。それを自分に問う。阿部先生自身も、そのとき自問自答した。そして得た答えは、「ヨーロッパにおける被差別民の成立を解りたい」というものであった。少し専門的な話になるが、この筋道を理解するために話を続けよう。
14世紀当時、次のような職業が蔑視されていた。死刑執行人、捕吏、墓掘り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮剥ぎ、犬皮鞣し工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取り締まり、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、等々。驚くほど多様だ。
ヨーロッパにおけるこうした被差別民は、この14世紀前に成立した。死刑執行人という職業は12世紀まではなく、高位聖職者や身分の高い人が執行していた。ところが、14世紀頃から、それが職業になり、身分の賤しい人が携わるようになる。この時期、社会における職業意識・評価における180度の転換があったのだ。この世紀、「人と人との関係のあり方」が根本的に変化した時代であることを窺わせる。
氏は、この後、ドイツ騎士修道会の古文書を読み進めながら、この「13~14世紀における人と人の関係のあり方の変化」という〈大問題〉に迫ろうと考える。そして、その〈大問題〉についての理解を得たとき初めて、ヨーロッパ中世社会が解ったことになる。採るべき果実ははっきりし、仕事の枠組みも定まる。つまり、「ドイツ騎士修道会の古文書を調べる」ことを通じて(手段)、「13~14世紀における人と人との関係の変貌を明らかにする」という形に。
「〈大問題〉を達成するために、仕事をする」という仕事の枠組みを定めないままに、仕事に取り組んでしまうことが私たちには往々にしてある。たとえば、古文書を読破する仕事にのめり込む。その一途さや愚直さを美しいと思う文化が日本にはある。日本という社会を成り立たせる大事な文化だと思うのだが、私は、そこにおける〈大問題〉の不在が気になる。「とにかくドイツの文書館で中世ヨーロッパの農民史を調べたい」というその志は貴重だが、それだけでは足りない。〈大問題〉が必要なのだ。あらためて整理して考えると、〈大問題〉を立てることに大事な二つの効能がある。