「絶対ムリ」と言われて燃える天の邪鬼精神
「もともと天の邪鬼な性格なんですかね。『絶対ムリ』と言われると、なんでそう言い切れるの、やってみなくちゃわからないじゃん、っていう気持ちになるんです(笑)」
準備を進めるうえで、市場時代に築いたネットワークが役に立った。全国の農家とのツテをたどってぶどう農家を紹介してもらい、顔なじみの小売業者や飲食店から販売協力も取りつけた。1億円超えといわれた醸造機械は、手作業を前提に必要最低限の設備にすることで費用を2000万円以内に抑え、自己資金と補助金、借入でどうにかめどがついた。
最も苦戦したのは醸造技術の習得だ。「教えてほしい」と頼んだ20人以上に断られたが、ここでも「人の紹介」が越後屋さんを救う。親の友人が偶然ワイナリーの関係者で、マルス山梨ワイナリーの畑でぶどうの栽培を手伝えることになったのだ。
日本で唯一の「お酒の研究所」で研修
そして、そこで知り合った人を通して、広島にある日本で唯一のお酒の研究機関、「酒類総合研究所」の存在を知る。さっそく訪ねると特別に長期で研修してもらえることになり、2013年の夏から秋にかけて醸造技術を学んだ。
動いて動いて動きまくった結果、なんとか醸造免許の申請書が整った。越後屋さん37歳の2014年3月、書類を提出。あとは認可が下りるのを待つだけ――かと思いきや、そこからさらに激動の半年間が待っていた。
まず、醸造免許の申請書は、「一度提出したら終わり」ではなかったのだ。税務署から追加資料の提出が求められることも度々で、その対応に追われた。加えて、審査結果がいつ出るのかはわからない。数カ月のこともあれば、1年以上かかる場合もある。それほど待ったとしても、免許が交付されない可能性も十分にある。
にもかかわらず、だ。越後屋さんは数カ月後に「免許が取得できる」という前提で、2014年シーズンに醸造を開始する計画で動いていた。日本では、ワイン造りがスタートするのは9月頃が多い。だが、東京産のぶどうは収穫時期が早く、東京ワイナリーでは8月に醸造開始を予定。それに合わせて機械も揃え、ぶどう農家とも正式に契約していた。




