原点は「野菜のおいしさを知ってほしい」
「東京の野菜のおいしさを、もっとたくさんの人に知ってもらいたい」。これが、越後屋さんが都内でワイナリーを立ち上げようと思ったきっかけだ。ワインなのに野菜? と脳内に疑問符が浮かぶが、続きを聞いて納得した。東京産の野菜に合うワインを造って、同時に売り出そうと考えたのだ。
越後屋さんはもともとワインも好きだったが、それ以上に強い思い入れがあったのは「食」だった。栄養士の母親の影響か、幼いときから「食べ物は人間の根本」という意識があった。横浜市という都会で生まれ育ちながら、高校生になると自然や農業へと興味が広がり、「食を支えるのが農産物だから、そっちもおもしろそう」だと大学は農学部に進んだ。
大学卒業後の2000年、環境コンサルティング会社に就職した。上司が「良いお店」に飲みに連れて行ってくれたことで、ワインに目覚めたのがこの頃だ。しかし3年ほどで会社の経営が傾き始める。そこで大学の友人に紹介されたのが、都内の仲卸市場である大田市場だった。
23区で最も農地が広い練馬の農家と出会う
仲卸とは、農家から卸売業者が買いつけてきた商品を仕入れて小分けし、スーパーなどに販売する仕事だ。越後屋さんが転職したのはちょうど、制度改正で仲卸業者と農家の直接取引が可能になった時期。
折しも有機野菜やオーガニックの人気が高まり、地産地消ブームが起こっていた。越後屋さんは、都内の野菜農家の新規開拓を任される。東京といっても23区から市町村部まで幅広い。いくつか声をかけた中で最初に会ってくれたのが、現在の東京ワイナリーから程近い、練馬の農家だった。練馬は23区内で農地面積が最も広く、都市農業が盛んな地域だ。
初めてその畑で食べた野菜の味は、今でも忘れられない。
「労力を惜しまず、丁寧に作られた野菜だけが持つ、おいしさでした。絶対に多くの人に食べてほしいと思いました」
しかし、農家のガードは「めちゃくちゃ硬かった」と越後屋さんは振り返る。契約を打診しても、新しい取引先は必要ないと素っ気なかった。もちろん越後屋さんも、簡単には引き下がらない。足繁く農家に通い、話を聞き、熱意を伝えた。
信頼関係ができると、自ら栽培した野菜だけでなく、近隣の農家や飲食店も紹介してくれるように。瞬く間に地域へとネットワークが広がっていった。
気づけば、プライベートでも練馬に足が向かっていた。そして、越後屋さんの中に「ある気持ち」が芽生える。自分で仕事を立ち上げて、東京の農業を盛り上げたい。どうせやるなら、自分の好きなもので勝負したい――。そこで浮上したのが、ワインだった。

