関東平野を変貌させた家康の偉業
――伊東さんが注目する家康の偉業は何ですか?
信長と秀吉が成し得ず、家康だけが成し得た偉業としては、天下を持続可能なものとして次の世代に残したことです。しかし、それだけなら万民のための偉業とは成り得ません。信長と秀吉が関心を示さなかったこと、すなわち治水や新田開発により、民を豊かにしたからこそ、家康は偉業を成し遂げたと言えるのです。
その最たるものが利根川東遷事業です。天正十八(1590)年に江戸入りした家康は、江戸湾に注ぎ込んでいた利根川の流路を変えようとします。というのも「坂東太郎」と呼ばれるほど利根川の氾濫は日常茶飯事で、とくに低地となる武蔵国東部には、広大な湿地が広がっていました。
これでは堤防を造ったところで役に立たないと思った家康は、利根川の流路を東に向け、銚子から太平洋に注ぐようにします。この計画は家康の死後に完成し、耕作できない湿地ばかりだった関東平野を一大穀倉地帯に変貌させます。経済成長、すなわち耕作地の拡大こそ国家と政権を安定させる基盤だと、家康は知っていたのです。
学ぶ姿勢を失わない家康
――なぜ家康は、信長や秀吉が成し得なかった偉業を成し遂げられたのですか?
家康は学ぶ人です。信長や秀吉のみならず、周囲の人から様々なことを学んでいたと思われます。例えば敵対していた武田信玄から学んだことも多々あったと思われます。また信長や秀吉を反面教師としたのも事実です。
こうした学ぶ姿勢を、人は年齢を重ねると失ってしまうものです。それはなぜか。
私も年を取ってから分かったのですが、学んだものが長く使えない、ないしは使う目的がなくなると、人は学ぶことが面倒になり、新しいことを学ばなくなります。そして享楽的になり、その時が楽しければよいと考えるようになるのです。
例えば、私は哲学や純文学の本を読むことが好きだったのですが、60歳を超えてから、「そんな本を読んで何になる」という思いが芽生え、自分の仕事に関連する本ばかり読むようになりました。しかしそれではいけないと思い直し、最近は読むようになりましたが、それでも克己心を奮い立たせないと、なかなか難しいものです。

