保守といえばエドモンド・バークの『フランス革命の省察』がその起源だといわれていて、一応読んだけどあんまりわからんな(笑)。でも、これもフランス革命という急進的な変化を目の当たりにして、イギリスには漸進的な一歩一歩の変革こそがふさわしいとする論ですよね。そのほか、田中美知太郎とか清水幾太郎、福田恆存なども父から勧められて読みました。そうした考え方にもかなり影響されています。

インタビューを受ける自民党の石破茂前首相
撮影=三東サイ
父の存在、そして父から勧められた本が、原点になっているという

そんなわけで、私はイデオロギー的ではない保守主義の家に育った。だから今でも、右翼的なものに対する生理的な嫌悪感みたいなのがすごくあるんです。一番嫌いなのは、首相官邸の前で、日の丸と星条旗を振り回しているような人たちの主張ですね。これは苦手。親米保守、というけれど、あまりにもその主張の中の矛盾が大きすぎて、何を言っているんだろうと思ってしまいます。

「リベラル」こそ自民党の本流だった

いつの頃からか、自民党内で「リベラル」は“呪いの言葉”となった。安倍晋三元首相や高市早苗首相を支持する「岩盤保守層」の政治家やネット上の応援団からすれば、リベラルとは極左であり、媚中派であり、反日なのだという。

2月の総選挙では、「リベラル狩り」と称して、石破やその盟友の岩屋毅、村上誠一郎らが標的となり、激しい攻撃を受けた。自民党支持者からの誹謗中傷もあった。

しかし石破は、かつて自民党内の一大勢力をなしていたリベラル派こそ「保守本流」だったと断言する。

私の父も政治家になってからは、吉田茂、佐藤栄作、田中角栄という流れです。岸信介でも河野一郎でもない。自民党内でもリベラルな位置です。

私の師でもある田中角栄先生は、特に戦争を嫌っていた。これは藤井裕久さん(元蔵相、故人)がよく仰っていたことですが、角栄先生は「戦争を知っているやつらが(この国の)中心にいる間は大丈夫だが、戦争に行った奴らが中心からいなくなった時が怖い。だからよく勉強しておけ」と言っておられたそうです。

角栄先生は日中戦争にも従軍されたので、一庶民の目で軍とは何か、国家とは何かということを考えたのでしょう。後の日中国交回復や、石油資源をめぐる中東外交などでアメリカの虎の尾を踏んだとも言われたが、単にアメリカに追従するのではなく、自立した外交を模索し続けた。これが、自民党のリベラルな「保守本流」の系譜になったのだと思います。

自民党の石破茂前首相
撮影=三東サイ
反戦は、戦争を経験した「保守本流」の系譜に受け継がれてきたという

「保守の基盤は地方、田舎に原点がある」

角栄先生のもう一つの流れは、常に地方が政策のベースにあったことです。保守の基盤は地方、田舎に原点があるという考え方です。これは角栄先生から竹下登、橋本龍太郎、小渕恵三という系譜につながった。こうした人たちには、いわゆる「右翼」的な要素は微塵もなかった。

角栄先生は、日中国交回復を命がけでやりました。決裂の危機もあったが、粘り強く交渉した。訪中前には石橋湛山元首相のもとを訪れていました。竹下さんは、これも世の中が大反対というなかで消費税を導入し、退陣という結果になった。それでも正しいと信じる政策を粘り強く訴え、納得が得られるまで努力し続けた。政権をかけて実現したのです。これこそが保守本流だったと思います。